2023/01/21 のコメントです。
信用取引の評価損率が追証ギリギリになると、投資家は不安を感じてきます。その不安を解消しようと投資家はあらゆるメディアを検索し、今後の見通しなどの情報収集に必死になります。これらは不安から生ずる当然の無意識な行動であり、メンタル面での不安を解消するのには、ある程度の効果があると思われます。
しかし、情報化社会となった現在では、多くの情報が氾濫し、その真偽のほどを確かめるのも難しいものです。これらの情報は、受け取る側の状況や心理状態によって大きく変わってしまうものです。
株式投資であまりにも大きな損失を被り、パニック状態のところに「この銘柄は絶対」などの記事があれば、ついつい信じ込んでしまうものです。これが人間の心理というものでしょうか。人間は言葉で聞くより活字になった情報を信じる傾向が強いとも言われています。どのような人がどのような立場で書いているのか分からないのに・・・。
相場暴落時では『株式市場が大きく下がれば下がるほどチャンスとなります。株式市場が大きく下がったら「目をつぶって買う」という投資戦略を取るのが、金融恐慌相場の鉄則ということになります』などの記事もある。まるで清水の舞台から飛び降りろとでも言うのだろうか。誰が書いているのか顔を見たいものである。相場の鉄則は損切りぐらいなものだろう。
予測が外れても解説者は「ごめんなさい」で済むが、それを信じた投資家はそうはいかない。解説者の記事を見て投資して失敗すると、当然ながらその解説者を恨む。自分がその情報を受け入れたという自己責任も忘れて・・・。恨みからは得られるものは何もない。
不安を解消するのに情報収集をすることは良いとは思いますが、その際には、情報を受け取る側が常に客観的で冷静な状態でなければ正しい判断ができないと考えます。しかし、冷静であればこれらの情報に耳を傾けることもないのだが・・・。不安な状況であるから情報収集に走るわけですから、ここに矛盾が生じてくるわけです。
そこに矛盾が発生し、矛盾は悪循環を引き起こす。悪循環は投資の世界においては損失を意味することになります。
一般的に問題を解決・決断する場合には、プラスの面とマイナスの面の両方から判断しなくてはなりません。株式投資の場合は、たとえば「ここは大底だから買いに入ろう」と判断した場合、情報収集も自分にプラスの情報を意識的に見るようになってしまいます。しかし、投資にはリスクもあるわけですから、万一、反対の展開になったら「このようにしよう」という対策も同時に取っておかなければなりません。
要するに、投資家は「常に客観的で中立的な立場」から市場を判断しなくてはならないということです。さらに言えば、できるだけ少数派の意見にも耳を傾けねばなりません。往々にして相場の世界の情報は、市場の動向に追従し、振り回されて極論に走る傾向があるため注意しなければなりません。
私は常に相場の世界から社会を見ています。すると、一般社会にも大きな矛盾があることが良く分かります。感じることは、現在の社会は情報化社会であり、その多くはマスメディアからの情報であり、これらのマスメディアの報道の仕方によっては、善悪は別としても社会を大きく変化させてしまうことにもなります。
さらに、マスメディアであっても、ひとつの利益追求の企業であることを理解しておかねばなりません。利益を上げるためには大衆に迎合した記事を書くことになります。これではマスメディアの本質である真実の報道とかけ離れます。
以上のように、我々投資家の正論としては、マスメディアなどの情報に振り回されることなく、信念を持って客観的で冷静な投資スタイルで挑みたいものですが、これがなかなかできないものです。
昨今では中国のシャドー・バンキングやウクライナの問題がクローズアップされています。この問題がどのように波及してくるか分かりませんが、マスメディアでは、この問題に対して一様に距離感があるようで、大騒ぎしている割には他人事のように感じられます。しかし、これらは単にタイムラグの問題でしかなく、実体経済への負の影響が表面化したら一気に日本の危機が深まることは歴然としています。そのためにも、我々は今からその対策を講じておかなければなりません。
さて、投資の世界で利益を上げ続けられるということは、翻って、大きな損を経験し、それらを苦悩の末に乗り切った先にあるものです。最初から勝ち続けるような投資家は、結局どこかで大きくやられてしまいます。しかも最初に負けた投資家よりも大きくやられることになるのです。しかし、負けることは決して嬉しいことではありませんが負けることも時として必要であると思います。
負けは負けでも、他力本願による負けと自分で判断した後の負けでは大きく異なります。前者では恨みが残り、後者では体験が残ります。
負けた時は誰でも落ち込むのが自然です。無理に強がる必要もありません。落ち込む時はとことん落ち込んだらいい。これが自然体である。そして、落ち込んだ後は失敗を糧に前進すればいい。一番よくないのは、落ち込んだままの状態でいつまでも失敗を引きずることです。これでは更に失敗を招くことになります。
失敗を忘れるということではありません。同じ失敗を繰り返さない為にも負けたことは忘れてはならない。判断を誤ることは正常なことです。それを修正しないことが良くないのです。
投資活動がうまく行かなくなると、つい情報収拾に走ったり、他の手法に目移りする。しかし、どこにもおいしい情報や必勝法などありません。自分の過去の売買から学ぼうとしない人間は進歩はない。求める答えは自分の手の内にあることを理解するべきです。負けた売買は貴重な財産です。そこから学ぶことにより、将来における失敗を駆逐することができるのです。よって、自己判断の失敗は成功と同等の価値があるのです。
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