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…知って得するページ…

   ≪ 情報の90%はノイズ ≫
2023/07/07(Fri)

2023/07/02 のコメントです。

私は常々「新聞は読まない」「テレビは見ない」と述べています。その理由として、面白くないということもありますが、私も年を重ねてきて世の中が冷静に、そして客観的に見れるようになったことにある思っています。

新聞やテレビの情報には「やらせ」や「誤報」などがはびこっていて、どれが真実かわからなくなってきています。このようなことから、私は新聞もテレビも見ないことにしています。

昔は、我々の知る多くの情報源は新聞、テレビ、ラジオしかありませんでした。その情報も一方方向の情報でした。しかし、現在ではインターネットの普及によりブログやフェイスブック、ツイッターなどの双方向のソーシャルネットワーキングが盛んになり、誰でもどこでもいつでも情報交換が可能となりました。

このような中、最近話題の「朝日新聞捏造事件」が起こり社会問題となっています。この問題については、すでにご存じてあると思いますのでここでは割愛しますが、今回の問題は、インターネットなどによる個人による情報発信や双方向の情報交換などにより「これはおかしいよ」と国民レベルから問題化したのではないでしょうか。

今回の「朝日新聞捏造事件」は困った問題ではありますが、私としては、この問題が日本人を覚醒させたのではないかと思っています。もし、この事件がなければ、いまだに新聞やテレビの情報は「常に正しい」と信じきっている多くの人々がいたと思います。

「世の中はいつも間違っている。世の中は、本来あるべき正しい姿から常に乖離しながら変化している。よって、現在の常識はいずれ非常識となる。常識は先入観」と当欄で何度か述べています。

今まで情報発信機関は「報道の自由」を盾に権威を持って情報を発信してきました。しかし、ここにきて報道の自由に疑問符が投げかけられました。私の語録に、「自由とは素晴らしい。しかし、規律と責任のない自由は暴走し、崩壊を辿る」とあります。これはまさに今回の朝日新聞の報道に当てはまります。

インターネットの普及などにより、まさに「朝日新聞捏造事件」がクローズアップされたわけですが、私はこれらの多くの情報がすべてプラス要因であるとは思っていません。私は現在の情報の90%はノイズ(雑音)であると思っています。また、情報過多は迷いを引き起こすとも思っています。

このようなことから、私は垂れ流しのようなテレビや新聞などの情報は一切拒否し、必要な情報は「自分から取りに行く」という姿勢で臨んでいます。私の投資手法はシステム売買であるため投資情報は一切必要ありません。

以上のことから、株式投資の情報などでも、そのほとんどが懐疑的な情報であることを肝に銘じておかなければなりません。"




   ≪ 臨機応変な対処 ≫
2023/07/02(Sun)

2023/06/25 のコメントです。

株式市場は長らくもちあいを続けてきましたが、久々に新値を取ってきました。評論家達はその解説に鼻息が荒いようだ。

株式市場では、これから株価が上昇するという噂で持ち切りになっています。その理由として、ウォーレン・バフェットの日本株買いが入ったからだなど。

投資とは将来を買うものであり、株価は期待感だけでも上昇するものである。公的年金であるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は、190兆円の運用資産を抱える「世界最大の年金基金」である。

世界最大の年金基金とはどの程度の規模なのだろうか。世界中のヘッジファンドの資産額は合計しても450兆円くらいで、単独では最大のヘッジファンドはブリッジウォーター・アソシエイツの16兆円だ。つまり規模だけ見ても、日本株式に限らず世界の金融市場に大きな影響を与える「世界最大の年金基金」なのです。

GPIFの昨年末の資産構成は国内債券、外国債券、国内株式、外国株式など。これらの組み入れ比率を各25%程度です。

真偽のほどは定かではないものの、以上のような思惑から株価上昇となっているのかもしれない。しかし、もちあい期間も十分であり、しこり玉の整理もついているので、ここでの上昇は当然だろう。

株価の上げ下げは別として、当研究所の投資手法は順張りであり、その流れについていくという手法であるため、成績も順調に推移しているものと思われます。ただ、相場上昇となってもまだ初動の段階であるため、相場についていけない出遅れ銘柄も多く存在しているのも事実です。

順張りでは、細かなもちあい相場では取れないという定説があります。まさにその通りであると思います。しかし、もちあい相場でも順張りで取れないものかと考えたことがありますか?。

行って来いの相場での順張りは、上がって買い、下がって売りのため利幅が取れないばかりか、逆ざやとなって損失が発生することが多くあります。ここからここまでがもちあいであると分かっていれば、それなりの対処もできるのでしょうが。

もし、システム売買ではなく、従来の一般的な売買で行うという前提であれば、もちあい期間を順張りで売買しようとした場合、その分析手法の分析日数を短くして使用することです。たとえば、移動平均などで従来使用している期間が25日移動平均であった場合、その期間を20日とか15日などにします。

分析期間を短くすることによって、従来より指標が株価にフィットしてくるはずです。これですぐに利益が上がるとは思いませんが、従来のもちあい期間による損失はいくらかは軽減できるはずです。

では、もちあい状態からトレンドが発生した場合は、どのような対処をすればよいのでしょうか。もちろん、もちあい状態からブレイクしてトレンドが発生したと思っても、また元のもちあいに入ってしまうかもしれません。

その対策として、もちあい状態からブレイクしてもしばらくの間は分析日数を短くしたままで使用することです。分析日数が短くなったからといって、トレンドが発生しても損をするわけではありません。小刻みな売買が続くだけです。

その後、本格的なトレンド発生が間違いないと判定した場合に、改めて従来の分析日数に戻せばよいわけです。

株価の変動は掴みどころがありません。しかし、株価の変動が「主」であり、我々投資家は「従」の関係にあるため、システム売買でない場合には、株価の変動に投資家が臨機応変に対処しながら売買することが良いのではないかと考えます。



   ≪ なぜ日本人は相場が下手なのか ≫
2023/06/25(Sun)

2023/06/17 のコメントです。

日本の相場歴史は江戸時代の米相場からと言われています。大坂・堂島では、宝永・正徳期から米相場が始まり、紆余曲折の末に享保15年(1730年)になって江戸幕府の公認を受け、堂島米会所を開いた。これが先渡し契約の無い公認の近代的な商品先物取引の始まりです。

つまり、差金決済の先物の考え方は日本から始まったのです。相場の世界では、日本は先物取引の先進国であったのかもしれない。さらに、そこで相場師たちはデイトレードも行っていたというから驚きです。

当時、相場師と呼ばれる投機家たちが商品先物取引でデイトレードを行っていたという記録がある。江戸時代、デイトレードのことを「日仕舞い取引」、先物取引の証拠金を「敷銀(しきがね)」と言れていたようです。

投資技法で有名な酒田五法も日本で作られ、またローソク足チャートも江戸時代の日本で作られたようです。これらが現在の日本の相場でも海外の相場でも使われているようです。

しかしながら、相場の先進国であった日本の投資家がどうして相場が下手なのであろうか。たしかに過去において日本でも有名な相場師が輩出されている。しかし、過去の相場師の歴史を紐解いていても、その多くは大量の資金に任せての大勝負であったようです。

相場師の中には成功裏に終えて、後に実業家に転身し更なる躍進を遂げた人もいますが、その他の多くの相場師の末路は決して華々しいものではなかったようです。

私は、なぜ日本人は相場が下手なのかについて以前から考えていますが、いまだに結論は出ていません。その要因は複雑で多岐にわたると思いますが、考えられるいくつかの要因を挙げてみましょう。

まず日本人の民族性です。我々日本人は元来、気候に恵まれた農耕民族です。春に種をまいて秋に刈り取るというサイクルを長年続けてきました。農耕には耕作した作物が台風などで被害を被ることもありますが、そこに投資や投機という考えはあまり存在しません。

また、日本の文化に由来する要因もあります。額に汗して働かない稼ぎは「不労所得」などと揶揄され、また「悪銭身につかず」といった格言によって利潤追求を蔑視する意識があります。

日本人にとって、潜在的に投資や投機は「悪いこと」という概念があるようです。私が投資関係の仕事をしていると分かると「楽して儲かっていいですね」と、嫌味半分で言われます。そこで私は「額に汗してはいないが、背中には冷や汗をかいているんだ」と言って返したいところですが、分からないやつにはいくら説明しても無駄なのでやめた。

以上のように、日本には投資や投機に対しての理解が遅れているような感じする。さらに、投資に対するネガティブな話題が多すぎます。たとえば、ある人は先物に手を出し破産した。会社の金を横領して投資につぎ込んだなどの話題が多すぎる。また、投資詐欺の報道のたびに投資に対する否定的な世論が形成される。

反面、マスメディアでは、大儲けしたなどのカリスマ?投資家の話題を捏造してキャンペーンする。これらの情報に安易にのって投資の世界に入っていく。検証のない「相場必勝法」などがもっともらしく宣伝されている。

その他にも考えられる要因はいくつもある。「清貧を尊ぶ文化が継承されている」「お金を卑下する思想がある」「米国の占領政策で骨抜きにされた」「戦後の産業政策で国民の預貯金を奨励した」「若い世代の収入が少なく、投資する余裕がない」など、その要因はいくらでも考えられる。

まず、我々投資家は、投資技法や投資理論を構築する前に、これらの外部環境とも戦わねばならない。大変なことです。このように日本における投資環境はマイナス要因が多すぎる。これらの要因を払拭できる方法はないものだろうか。

これらの要因を一掃できる方法はひとつしかない。それは投資理論でもない。投資技術でもない。それは実践で成績を上げて投資の優位性を見せ付けることである。つまり、裏付けのあるスーパースターの登場です。 ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロス、ジム・ロジャーズなどのような投資家の登場です。

日本人にその手本を見せてあげることです。それはあなたかもしれません。がんばりましょう。



   ≪ 新たな発見は・・・・ ≫
2023/06/17(Sat)

2023/06/10 のコメントです。

私は投資成績を横目で見ながら相変わらず研究開発の日々を送っています。ほとんどが室内で過ごしていますので、家族には「引きこもり父さん」と言われています。

別に出かけることが嫌いなのではなく、性格が集中型であるため、何事か始めるとある程度結論が見出せて、納得できるまで追及するタイプの人間なのでしょうか。このような性格は自分自身でもあまり好きではないのですが・・・。

答えのない世界に答えを求めるという矛盾した作業を黙々と続けています。相場の世界には正しい答えがないことは十分理解しているつもりですが、長年、相場の研究を続けていると、ある程度の方向性は見えてくるものです。

私の投資方針は短期売買であるためテクニカル分析が中心であり、この姿勢は今後も変わることはないと思います。テクニカル分析は内部要因を中心に分析する手法であり、その中心は、株価、出来高、信用残です。

一般に、この企業は業績が今後良くなりそうだと多くの投資家が判断し買い付けするわけですが、その買い付けは出来高として現れています。信用取引での売買では、信用残に現れてきます。実際に企業の業績が良くなりそうだと皆が思っていても買い付けする投資家がいなければ株価は上がりません。つまり、出来高や信用残の需給関係により株価が形成されるわけです。

では、出来高や信用残の推移を見ていれば株価も分かるはずではないか。確かにその通りです。株価は出来高や信用残の推移の結果として形成されるものであるからです。

出来高分析では、出来高が非常に少ないところは株価の安値圏ですし、出来高が最大となっているところは、おおむね高値圏となります。また、信用残においても売残の多いところは高値圏であるし、評価損率がプラスになると天井となります。また、評価損率がマイナス15%にも達すると安値圏となります。このように、出来高や信用残の推移は、株価と相関関係にあることが分かります。

しかしながら、出来高の内容を詳細に分析すると、その出来高はクロスであったり、裁定取引のSQの出来高であったりします。正しくは、これらを除外し真の出来高を求めて分析しなければなりません。しかし、これらは現実的な作業ではありません。

また、信用残においては、その数値発表が一週間遅れとなっています。これでは短期売買の投資家にとっては参考になりません。

このようにテクニカル分析において、いくつかの問題やハードルがあり正しく分析できない現状があります。このような状況を嘆いても始まりません。私は常に「与えられた環境の中で最大限の努力をする」を心情としていますので、このような状況下でもベストを尽くすべきと考えています。

そこで、需給関係の結果である「株価」のみで分析できないものかと考え、以前から研究を継続しています。他の投資研究家からは「邪道だよ」と非難されていますが、悲しいかな、偏屈親父の私としては、非難されればされるほど邪道を追求したくなるものです。

この「株価」のみでの分析もかなり長期間研究しています。そして新たな発見もありました。私は評論家ではなく実践者であるため、これらの研究と同時進行で実践売買を行っています。おおむね良い結果が出ています。いずれ機会があれば発表したいと思います。

「新たな発見はひとりの研究者によって行われる」と言われています。私もこれらを目指して日々努力しています。


そこで一言。
『絶対無理だと言われた先にも道はある。確固たる信念と情熱があれば必ず道は開ける。不可能は行動によって可能となる。できるかできないかではなく、やるかやらないかである。人類の偉業の多くは、当初は不可能だと言われていたのだから』



   ≪ 思い込み ≫
2023/06/10(Sat)

2023/06/02 のコメントです。

投資家は日々、市場で収益を上げようと悪戦苦闘しています。しかし、現在のような往来相場ではなかなか思うようにはならないものです。そのような時、何とかならないものかと情報収集に走り、投資情報誌や投資のサイトを探し回ります。

誰でも行き詰まった時は、現状を打開しようと試行錯誤するものです。これらの行為は投資に限らず我々の社会生活には当てはまるものです。

たとえば、少し体重が増えてきて医者からもコレステロール値が高いなどと言われると「これはいけない、何とかしよう。やはりダイエットだな」と思い、その対策を考え行動します。

「まずは歩くことである」と考え、早朝から眠い目を擦りながら散歩を始めます。そのような思いからか、私の家の周辺では早朝から手を大きく振りながら夫婦で散歩している姿を多く見ます。冬などは暗いうちから、防寒具を着て颯爽と歩いています。本当にご苦労様です。

散歩している多くの人々の姿を見ると、非常にスリムで健康には何ら問題はないように見受けられます。そう思うのは太った私のやきもちなのでしょうか。皆さん健康に取り付かれたように真剣に歩いています。大いに結構なことです。

「コレステロール値が高い」→「ダイエット」→「散歩」などの一連のプロセスはどの健康雑誌でもテレビの健康番組でも健康への定番のように推奨されています。多くの健康願望者は、これらには何の疑問も持たず受け入れているようです。

さらにテレビや雑誌では、健康器具やサプリメントのコマーシャルが溢れに溢れています。知らず知らずのうちに「健康おたく」となってしまうのでしょうか。

このような方の考えに逆らうわけではありませんが、東京都健康長寿医療センター研究所が発表した最新の研究成果では、「痩せた男性(BMI15・9~21)は、太った男性(BMI24・9~39・9)に比べて介護リスクが2倍になる」という事実も判明した。太っているほうが長生きというのも、いまや健康の「新常識」だという。

おやおや、今までの健康の概念は何だったのだろうか。さらに健康おたくをたたみ込むようで申し訳ないのですが、東京都健康長寿医療センター研究所の発表では「そもそも、コレステロールは体内にとって必要不可欠なもので、細胞膜をつくる大切な材料。だから、コレステロールが減ってくると、細胞の機能や構造に障害をきたしてきます。さまざまな研究成果から、コレステロール値が高いほうが長生きすることははっきりしている。さらに、コレステロール値が低いほどがんの死亡率は高く、脳卒中のリスクも高くなるということも、研究から明らかになっています」

ちなみに、コレステロールは全体の約70%が、肝臓や脳など体内のさまざまな臓器で作られており、食べ物から摂り込まれるのは30%程度。そのため、食事を摂る際にコレステロールを気にするのもナンセンス。卵を食べるとコレステロール値が上がる、などと言われているが、「一日何個食べても大丈夫」という。

病気のリスクだけではない。意外なところでは、コレステロールは頭の回転にも影響を及ぼしていると言う。「体内で作られるコレステロールのうち、約30%が脳で作られています。脳はコレステロールも栄養として使うため、脳の働きと深く関係しています。たとえば、子どもの成績とコレステロール値の相関関係を調べると、コレステロール値が高い子は成績もいい傾向にある。子どもに限らず、コレステロール値が高い人は、頭の回転が速く、話の面白い人も多いんです」と。

さらに極めつけのショッキングなデータがある。過去に、大学の学者が行ったJRとの共同研究で、駅のホームから飛び込み自殺をした55〜60歳男性のほぼ全員がコレステロール値を下げるクスリを飲んでいたという結果も出ています。

以上のことから「常識とは何ぞや」となり、また悩んでしまいそうです。私が考えるに「常識とは先入観」ではないかと思います。先入観とは思い込みです。では、思い込みはどのようにでき上がるのでしょうか。

思い込みとは、その人の置かれている環境による影響、さらにマスメディアなどの影響により無意識のうちに潜在意識に蓄積されていくものと考えます。それがたまりたまって、その人における「常識」が形成されていくものです。

上記の問題のように、無意識に常識?を信じて行動するべきではなく、科学的、物理的な視点から客観的に判断するべきではないでしょうか。同様に、投資の世界でも盲目的に投資の常識を信じて行動するのではなく、一歩引いて、客観的な視点から投資判断をすべきでしょう。

私が常々申し上げている「数値による判断」は、これらの背景を踏まえて、投資の常識や先入観を排除できる唯一の方法ではないでしょうか。



   ≪ 「勝率」の考察 ≫
2023/06/02(Fri)

2023/05/27 のコメントです。

景気はいまひとつなのに株式市場は急騰となり、投資家には読みきれない相場展開となっています。投資市場とは何があってもおかしくはない世界です。相場はやはり摩訶不思議な世界なのでしょうか。

さて、今回は「勝率」について考えてみましょう。私は以前から投資で成功するためには勝率ではないと申し上げてきました。投資では利益は大きく、損は小さくの「損小利大」でなければならないと解説してきました。このことは、プロのトレーダーの間ではすでに定説となっています。

勝率5割の世界で利益を上げるためには、どうしても損小利大の投資手法でなければ収益は上がりません。これらの点は、投資家であれば理解されていると思います。

さて、投資で、もし利益も損失も同じであった場合はいかがでしょうか。つまり、利益が10%で利食い、損失も10%で損切りという投資手法であった場合、その手法で利益を上げるにはどのようにすればよいのでしょうか。

利益も損失も同じ幅での売買で収益を上げるには勝率を上げなければ収益が発生しないのは理解できるでしょう。この「利益も損失も同じ幅」はデイトレードの世界に見られます。

なぜなら、通常の売買では利益を最大限に伸ばし、損失はできるだけ小さくするという手法ですが、デイトレードの場合は、1日での売買であるため、その利益には限界があります。つまり、利益が限定されてしまうことです。

もちろん、デイトレードであっても利益を伸ばし、損失は限定することは可能ではあると思いますが、一般的な売買よりは、損小利大の理念は制限されてしまうと思います。

これらから、デイトレードは邪道的な手法であると言わざるを得ません。しかしながら、多くの投資家はデイトレードを好んで採用しています。デイトレードの投資家からは、1日の売買であるためその損失も限定されるのではないか、などの意見も聞かれますが、逆に利益も限定されるのではないでしょうか。

話題は変わりますが、投資理論に「サイクル理論」というものがあります。これは、株価の変動にはある一定のサイクル(周期)が存在するという理論です。私もこれらの理論を検証したことがあります。

確かに、株式の個別銘柄の一部の銘柄に、これらのサイクル理論が当てはまる銘柄が存在します。このサイクル理論を採用し売買される場合は、将来もそのサイクルが継続されるため、そのサイクルの山谷で売買すれば効果的であるという結論です。

しかし、私が検証した結果においては、そのサイクルが未来永劫継続されるわけではなく外部環境などで、そのサイクルに変化が生ずるということです。ただ、そのサイクル検証の直後しばらくは、そのサイクルが継続されるという検証も得られています。そのため、短期売買のサイクル理論もそのサイクルの当てはまりの精度が高い銘柄であれは採用できるものです。

私はデイトレードは行っておりませんが、デイトレードでは、利益も損失も限定的であるため勝率を上げなければなりません。そのためには、サイクル理論を採用して勝率を上げてのデイトレード、つまり、過去に周期性のある勝率の高い銘柄によるデイトレードもあるのかなあと考える今日この頃です。



   ≪ 作用・反作用 ≫
2023/05/27(Sat)

2023/05/19 のコメントです。

「世の中はいつも間違っている。世の中は、本来あるべき正しい姿から常に乖離しながら変化している。よって、現在の常識はいずれ非常識となる。常識は先入観」と私の語録にある。

これらの内容は、投資活動の中から生まれてきた文言です。株価の変動は基本的には、ファンダメンタルズをベースにして、そこに需給関係が加わり上下に変動すると考えます。上記の「正しい姿から常に乖離し」は、まさしくこのことを表現しているものです。

上記の文言にある「世の中は」は、「株式市場は」と置き換えて考えてください。株式市場における「正しい姿」とはファンダメンタルズであり、「常に乖離し」は、需給によりファンダメンタルズを軸にして上下に変動するという意味となります。このことが私が考える株式変動の基本です。

私は、株式投資における考え方も世の中を捉える考え方も同じではないかと思っています。株式投資の基本ベースをファンダメンタルズとすれば、株価はそのファンダメンタルズを軸として上下するわけですから、株価が本来の正しいとされるファンダメンタルズの位置に留まるのは、ファンダメンタルズと株価が交差する一瞬に過ぎないのです。

このことを世の中と対比して考えると、本来あるべき正しい世の中の姿は、正しいとされる世の中と現在の情勢が交差する一瞬に過ぎないのです。これが現実です。「本来あるべき正しい世の中の姿」とは何であるか、と判断するのは難しいものですが・・・。株価が需給で変化しますが、世の中は、その時々の人々の考え方や思想、時流、ブームなどの時代背景によって変化するものです。

つまり、株価も現在の世の中も「本来あるべき正しい姿」から常に乖離しながら変化しているものです。株価においても買われすぎれば、その訂正安が起こるものです。世の中においても、行き過ぎればその反動が必ず起こるものです。日本のバブル期を見ればよく分かります。

このように、世の中は「作用」「反作用」の原理で動くものです。「作用」「反作用」は調和(バランス)が取れるまで続くのです。バランスが取れたときが正しい株価であり、正しい世の中であると言えるのです。しかし、このバランスが取れたときとは一瞬でしかないのです。「作用」「反作用」は自然の摂理でもあるのです。

これらの現象を別の視点から見て極言すると、株価も世の中も、いつも間違っているということになりませんか。そして、この原理から言えば「現在の常識はいずれ非常識」となるのです。さめた目で客観的に見るとそのようなことにならないでしょうか。暴論かもしれませんが・・・。

世の中を「さめた目で客観的」に見ると「世の中は矛盾だらけ。人は矛盾の中で生きている」となるのです。しかし、それを愚痴っても批判しても始まりません。よく年配者に見られることですが「現在の世の中は間違っている。私の若い頃は・・・。」と言う。私から言わせていただければ「現在も過去も世の中はいつも間違っている。世の中はいつも矛盾だらけ」となります。

まわりくどい解説となってしまいましたが、要するに、株式投資の常識はいつも間違っているということです。間違っているから儲からないのです。現在常識とされる投資常識をいったんリセットして取り組むべきでしょう。

マスメディアの投資常識論など一切信用すべきではありません。投資の正しい基本(常識)は、投資家自身の投資体験の中から生まれてくるものですから、自分自身を信じて、良いときも悪いときもひたすら続けることです。

そこで一句。「自分の過去の体験から現在の社会を批判する。あたかも過去の自分の体験がすべて正しかったかのように・・・。それこそが現代社会から取り残されている証しである。」



   ≪ 自分で決められない ≫
2023/05/19(Fri)

2023/05/13 のコメントです。

東京市場の変動をウクライナ・ロシア情勢の緊迫化を背景に説明するのは早計だろう。なぜなら、地政学リスクは今始まったものではないし、現在の事態は延長線として十分想定でき、本来マーケットに織り込まれているはずだからである。したがって、地政学リスク云々と言うだけなら、株も為替も特に反応しなかったはずだ。

相場における材料はなんであれ、解釈は相場次第と言える。同じ材料でも、蒸し返されるとまったく違った相場がみられるのは、その本当の原因が材料自体にあるのではなく、マーケット自体の構造や投資家の心理にあるからである。いつものことながら後講釈であれば何とでも説明できる。やはり、情報や材料には振り回されないことが肝心です。

投資判断は、あくまで投資家一人ひとりが自分で決めるものです。「投資クラブ」のような形で投資家が集まって勉強会を開いたり、自分の体験を語り合ったりするのもよいのですが、最終的には自己責任、自己判断です。ところが実際には多くの投資家が、自らの資産をかけた大事な判断を人に頼ってしまうのはなぜでしょうか。

株がかなり値上がりしてきたため、そろそろ売却して利益確定したいと考える。そして取引している証券会社や株仲間に連絡して「だいぶ上がってきたからねえ。君はどう思う?」と意見を求めます。最終的に売るかどうかの判断はご本人次第なのですが、証券会社や株仲間の意見も一応聞いておきたいという心理がはたらく。

証券マンは手数料の関係で「そうですね。そろそろ売り時かもしれませんね」と言う。株仲間には同じ銘柄を持っている人がいないので「儲かっているなら売っちゃえば」と言う。どういうわけかほかの投資家の動向を非常に気にするのです。

しかしながら、本人は「まだまだいけるのでは」と心の中で葛藤する。散々悩んだ挙句、再び証券会社に電話する。「どうかね」と。証券マンが「やはり高値になったため売ってはどうですか」と言う。本人は「手数料稼ぎをしようと思ってるんだろう。その手には乗らんぞ」などと考える。

すると証券マンは「分かりました。このまま持続と言うことですね。この銘柄を持っているお客さんからかなり売り注文が入ってきたので、そろそろ売り時かと思っていましたが・・・」と。

すると「えっ、みんな売っているのか?。どうしてそれを先に言わないんだ。まったく。私の持ち株もすぐに売ってくれ・・・。」

集団心理と言うか群集心理と言うか、そこに自分の投資戦略、投資判断など一切ありません。結局は、負け組みという烏合の衆に成り下がってしまうのです。自分で判断できるだけの情報を持っていない場合に、ほかの人と同じ行動をすることによって安心することになります。安心することと儲けることとは次元の異なるものであることは理解していると思うのですが・・・。

確かに、不安になれば誰かに意見を求めたくもなります。投資という不確実な選択をしなければならない人間心理としてある程度やむを得ないでしょう。

投資判断というのは儲けや損失を左右する極めて重要なものです。ほかの人がどう動いているかという判断も重要ではありますが、あまり外部の意見などには振り回されない方が賢明でしょう。



   ≪ 相場の鉄則 ≫
2023/05/13(Sat)

2023/04/29 のコメントです。

私は日ごろから相場で一番難しいことは、銘柄の選び方でもなく相場の見通しでもなく、それは投資家の感情のコントロールであると解説しています。投資家であれば株価の変動に感情が揺さぶられ一喜一憂します。まさしく、相場は「歓喜と絶望のゲーム」であると言われる所以です。

投資の世界に「大きく儲けてやろう」と意気込んで入場するも、当初考えているような甘い世界ではないことにすぐに気づきます。初心者が投資の世界に入り退場していくまでの期間は、おおむね4年から5年と言われています。

相場の世界を甘く見ているからだと言われればその通りなのですが、私は投資で成功するには、投資技術より、投資家の心構えや投資の本質を理解することが先ではないかと考えます。

ここで「投資とは何ぞや」について考えてみたいと思います。投資の基本中の基本の解説ですが、あらためて投資の原点に立ち返って考えて見ましょう。

『相場に正解は無い、常に謙虚になれ』
いつも申し上げていることですが、相場の世界には答えがありません。相場の世界は常に迷いの世界でもあるのです。であるから、たまに大儲けしたとしても有頂天にならず謙虚になることです。「勝って兜の緒を締めよ」

『経済学は通用しない、常識のない世界である』
経済学の理論が通用するならば経済学者は皆お金持ちです。投資では学校で学んだ経済学など通用しません。相場は経済学とは別次元のものなのです。投資とは、安いところで買って高いところで売るという常識は誰でも知っています。もし、この常識が通用するなら投資家は誰もお金持ちになれます。

『大敗したトレードの原因は自分の中にある』
投資とは投資家の体験の中にあるものです。成功体験、失敗体験は投資家それぞれ異なります。それぞれの体験の中に学ぶものがあり、それらが投資家の投資スタイルを形成していくのです。

『相場の世界で正しいのは価格だけである』
投資評論家の話など聞く必要はない。評論家はもっともらしい理論を振りかざして、解説するが当たりはしない。無責任極まりない。「相場に経済学(理論)は通用しない」である。常に株価は正しい。信用できるのは株価だけである。

『長い航海の途中に嵐に遭うのは必然的である』
相場にはクラッシュはつきものである。順調に稼いで利益を積み上げてきても一度の暴落ですべてを失うこともある。初心者は万が一の暴落に対しての備えがない。やはり、リスクの多い投資の世界にはヘッジは不可欠です。

『相場の世界に近道なし、本質は単純なもの』
何の世界にもビギナーズラックはあるものです。たまたま上昇相場に乗って稼いでも、追い風もいずれ逆風となるものです。慢心は山の頂です。投資とは売りと買いだけです。あまり難しく考えることはありません。シンブル・イズ・ベストです。

『負けは素直に認め、期待はするな』
投資の世界は負けの続くゲームであると言われています。負けは素直に受け止める必要があります。負けが認められず「もう少し、もう少し」と頑張っているようでは投資家失格です。

『最終的な勝者は全体の3%』
投資の世界は理論も通用しない、常識も通用しない世界であるため、最終的な勝者は一握りの投資家だけである。この現実を理解し取り組まなければなりません。

『勝者は夢をみない、勝者は常に孤独である』
投資とは人を介さない孤独なビジネスです。ひとりで考え悩むと、その答えは必ず曲がると言われています。孤独に耐え、現実を直視して、感情を抑えてひたすら売買を繰り返しすことに耐えられる者が最後の勝者となれるのです。

以上のように、投資の鉄則は誰でも知っていることです。これらができるかできないかではなく、やるかやらないかです。



   ≪ ひたすら続けることである ≫
2023/04/29(Sat)

2023/04/21 のコメントです。

長く投資活動を行っていると、投資家にとって適した相場環境とならない場合があります。たとえば、行ったり来たりの往来相場であったり、急騰急落の相場であったりでは、その判断に苦慮し収益もままならないものです。

相場が悪い時というのは、相場が良かった時の手法を使用しても利益が出せないことが多かったりします。そこで、そのような環境下では「休むも相場」との相場格言を思い出し、一時的にでも休みたい気分になります。

適した環境でない相場変動などの時は慎重に取引をする必要があるのですが、常に申し上げていますように、相場環境が悪いといっても全面撤退はあまりお勧めできません。

確かに、相場環境には勝ちやすい相場と勝ちにくい相場があるのも事実です。当然のことながら、勝ちにくい相場の時はあまり手を出すべきではありません。やけどをしないために休みをとることも選択肢のひとつとなります。しかし、そうなってくると相場が良い時と悪い時の見極めが必要になってきます。

これらの見極めは「日々の出来高が少なくなってきている」「直近に非常に大きな下げがある」「それまで強い動きをしていた個別銘柄の動きが一気に鈍くなる」「金融株の動きが鈍くなる」などと相場環境を解説している文献もあるようですが、相場が良い時と悪い時の見極めは、相場の見通しを予測するのと同じように後になってからでないと結局のところ分からないものです。

私は、このようなことから、手が合わないときは投資資金を減らすことは良いと思いますが、全面撤退はあまりお勧めできません。

相場環境が悪くなってくると「様子を見よう」「様子を見てから」という言葉をよく使います。これらの言葉は投資判断として適正と思われがちですが、私は間違っていると思っています。

「様子を見よう」「様子を見てから」は、判断、決断ができない状態でもあるのです。判断、決断から逃げていることでもあるのです。投資においては「適切な判断」が要求されるところですが、「様子見」は、その判断を先送りしているだけなのです。つまり、優柔不断であるということです。投資において、優柔不断では儲かりません。

私の語録に『逃げては何も残らない。逃げてもまた元のところに戻るだけ。今逃げたら、明日はもっと大きな勇気が必要となる。逃げずに困難に立ち向かえ』とあります。これは私が相場体験の中から自戒を込めて出てきた言葉です。

「休むも相場」を別な角度から見てみると、収益が上がらないから休んで様子を見ようということではないか。ここでの休む根拠は「収益が上がらない」が理由となりますが、収益の上がらないのは相場の問題だけでしょうか。投資家自身に問題はないのだろうかと考えたことがあるだろうか。

結局、堂々巡りで結論の出ないところですが、つまりのところ分からないということなのか。そうなのです。相場は分からないのです。だから、成績が上がらないときも、その原因が相場にあるのか投資家自身にあるのか明確ではないのですから、成績が悪くても少しずつでも続けることが肝要なのではないでしょうか。

続けることによって分かってくることもあるだろうし、経験も積み上がってくるものでしょう。それが「力」となってくるのです。

「力」とは繰り返しの結果である。目標と信念と情熱を持って、良いときも悪いときも、ひたすら続けることである。



   ≪ メンタル面の強靭化 ≫
2023/04/21(Fri)

2023/04/14 のコメントです。

株式投資の手法はさまざまであると思いますが、その基本は「相場観測」「銘柄選択」「売買テクニック」にあると考えます。まず、相場全体の方向性を判定する相場観測。これが的確にできれば株式投資で成功したも同然である。

しかし、この相場観測は永遠に答えの出ない、または、答えのないテーマでもある。相場観測を制する者が勝者になれることは間違いないのだが・・・。

次に、銘柄選択であるが、銘柄選択には企業のファンダメンタルズは欠かせない。ただ、企業分析においても、我々がそれらの正確な情報を得られるかは疑問である。

売買テクニックにおいては、テクニカル分析における重要な要素となります。特に、短期売買では、さらにその精度を上げなければなりません。デイトレードにおいては、この売買テクニックだけと言っても過言ではないだろう。

しかし、しかしである。投資において、これらをすべてマスターすれば勝てると言うものでもありません。投資とは、他のビジネスのように物を扱うわけでもなく、また、取引先との駆け引きを行うわけでもありません。ひたすらバーチャルな空間での自分との戦いです。

つまり、損得を賭けた自分の感情との戦いでもあるのです。感情が大きく揺さぶられ、あるときは歓喜し、また、あるときは絶望に打ちひしがれ、すべてを投げ出したくなるときもあります。

このようなことから、投資の世界は技術的な問題だけではなく、投資家自身のストレスなどのメンタル面における投資の適正、不適正が問われることになります。

そこで、投資の適正、不適正、および、その克服方法について考えて見ましょう。心が折れやすい人と逆境に強い人の思考習慣の違いについて、あるデータに基づいて考えて見ます。

心が折れやすい人の思考習慣は次のような特徴が共通して見られるようです。

1)いつも誰かと比較して自分の欠点ばかり見ている。
2)相手の嫌な面ばかり見て、相手が全て悪いんだと思い込んでいる。
3)漠然とした不安や心配を堂々巡りさせている。
4)視野が狭くいろいろな視点から物事を見つめられない。
5)物事を先延ばしにして、行動できない。
6)自分ではどうしようもない環境にばかり愚痴をいっている。
7)完璧にやろうとしすぎて疲弊する。
8)過去の失敗にずっとクヨクヨしている。

このような思考をする人は、多くの逆境に直面した時にストレスを強く感じます。

一方、逆境に強い人の思考習慣とはどんなものでしょうか。

1)長所も短所も含めて等身大の自分を受け入れることで適切な自信を持っている。
2)人間関係において相手を変えようとするのではなく、自分の見方を変えることで感情のわだかまりを解消できる。
3)不安や恐怖に直面したときに、曖昧さを排除し具体化することで解決策を考えることができる。
4)自分の立場から離れ、多くの視点(過去・未来・相手・第三者)から考えることで常に冷静さを保つことができる。
5)変えられないことではなく自分ができることに焦点を絞り行動することができる。
6)置かれた環境や辛い状況など自分では変えられないことを受け入れることができる。
7)0点か100点かの極端な思考から抜け出し、複数の基準を設定することで柔軟に考えることができる。
8)過去の出来事、未来への挑戦に意味や感謝を見出すことでモチベーションを高めることができる。
9)過去の後悔や未来の不安をいったん脇に置いて、今この一瞬に集中することができる。

以上の内容を参考にして、投資家自身が自己分析した上でメンタル面の強靭化を図るべきと考えます。



   ≪ 株式市場の個人投資家 ≫
2023/04/14(Fri)

2023/04/08 のコメントです。
 
我々個人投資家は、株価変動がボックス圏内に留まっていてはなかなか収益の機会に恵まれない。私もこのような状態では、システム売買を実践するも、いろいろと考えてしまうものです。

ボックス圏内でも収益が上がり、さらにトレンドが発生したときにも、さらに収益が上がる方法はないものかなどと考えを巡らします。投資家の皆さんも同じような考えになるのではないでしょうか。

ボックス圏内で収益を上げるには「逆張り」が最適ですが、ボックス圏がいつ終わるかもしれないため逆張りを躊躇する投資家もいることでしょう。ボックス圏から抜け出しトレンドが発生した場合は「順張り」が適していることは言うまでもありません。

相場について、あれこれ考えているうちに少しずつ投資金が目減りしていく。そして、ひとり、またひとりと市場から退場していく。トレンドが発生しない、往来相場ではこのような現象が起きてきます。
 
以上のように、季節はこれから夏に向かおうとしているのに、個人投資家市場は寒いかぎりである。

株式市場は、個人投資家不在の市場となってしまったようだが、これらの原因はどこにあるのだろうか。私なりに考えてみた。

株式市場に個人投資家が少なくなっていると同時に、個人投資家が増えている市場がある。それは、すでにご存知のようにFX等の仮想通貨市場である。書店に行ってみればよく分かる。株式投資の書籍は隅の方に追いやられ、FXの書籍が幅をきかせている。

投資市場は形は変わっても、株式でもFXでも、その基本は同じではないだろうか。株式投資で上手くいかないからといってFXに乗り換えても変わりはない。株式投資で損をする投資家はFXでも損をする。ひとつの市場で上手くいかないならば、どこの市場へ行っても同じことだ。

株式からFXに乗り換えた要因のひとつとして、株式投資で上手くいかず、投資資金が減ってしまったため、やむを得ず小資金でレバレッジの効くFXに乗り換えたなどであろうか。また「小資金で大儲け」などのマスメディアの宣伝に煽られて、FXにはまってしまったなども多いようだ。

また、株式市場の個人投資家減少の要因として次の問題を提起しているところもある。それは『個人は株価が下がり割安感が出たところで「押し目買い」を好むのに対し、ヘッジファンドは相場に追随する「トレンドフォロー」と呼ばれるタイプや、新高値を付けると買い、節目を突破するとさらに勢いづかせる「ブレイクアウト」型戦略など流れを加速する投資手法も多い。こうした投資手法の違いも個人投資家不在のままで株価が上昇している一因になっている。』としている。

現在の株式市場は、個人や金融機関など国内勢が手放した株を、海外マネーが吸収する構図が鮮明になっているという。何しろ今の個人投資家には投資余力がある。特段の上昇要因もなく上昇する株式相場を横目に、参入する機会を虎視眈々と見計らっている。この勝負を制するのは上昇相場を勢いづかせている海外勢か、それとも値下がりを待っている個人投資家か・・・。との解説もある。

いずれにしても、個人投資家参入が市場を活性化させ、収益のチャンスを広げるためには、投資の正しい知識の修得と投資技術の向上、そして、良いときも悪いときも、ひたすら続けることにあるのではないだろうか。

ある著名な経済学者が言っていた。「仮想通貨は社会に何も貢献しない」と。



   ≪ 投資の一貫性 ≫
2023/04/08(Sat)

2023/04/01 のコメントです。

投資の手法であるファンダメンタルズ分析とテクニカル分析の優劣については、当欄でも何度も解説しました。結論的には、長期投資はファンダメンタルズ分析で、短期売買は、テクニカル分析でということが一般的な考え方であろう。

私は「どのような投資手法でも良い」という考え方である。投資家の性格や投資資金量などによって、自分に合った手法で運用すべきであるというスタンスをとっています。

投資家として著名なジム・ロジャースとジョージ・ソロスは、今日最も成功したウォール・ストリートのファンドであるクォンタム・ファンドを運用する中核の2人である。

ある投資家がジム・ロジャースにテクニカル手法のチャートの読みに関して意見を求めたとき、彼は「私は金持ちのテクニカル派にはお目にかかったことがない。もちろんチャートのサービスを売って金儲けをしている奴らを除いてね。」と答えたと言う。

また、著名なテクニカル派であるマーティー・シュワルツの意見はロジャースとは対極にある。マーティー・シュワルツは「過去10年間、彼は平均で25%の利回りを達成していた。ひと月にである。それと同じくらい印象的なのは、120ヶ月で、彼は2ヶ月しか損失を出していないのである。

マーティー・シュワルツは、ジム・ロジャースとは全く正反対のようである。彼は「そのとおり。私は金持ちのテクニカル派にお目にかかったことがないと言う人をみるとおかしくて仕方がないね。でも、私はそんなことをいう人が好きなんだ。」と答えている。マーティー・シュワルツは、「私はファンダメンタルズを9年間もやって、そしてテクニカル派として金持ちになったのだから」と言っている。

投資家は、それぞれの価値観に基づいて投資活動を行っているので、私は、他人の投資手法を云々することはナンセンスのような気がしてならない。

投資とは、その手法の優劣だけを考えるのではなく、まず、そこに一貫性をもたせることが重要ではないかと思います。ファンダメンタルズ分析でもテクニカル分析でも、順張りでも逆張りでもかまいません。手法に一貫性を持つことが成功への近道と考えます。

たとえば、初心者が考える「10%損切り」を例に挙げてみると、最初は順調に損切りをこなしていたが、ある日突然急落となり、持ち株全部を損切りしなければならない状態が発生します。

初心者は恐怖におののいて、当初の「10%損切り」ができなくなります。当然、損切りができず、そのまま放置してしまうことになります。そこに投資の一貫性が途切れてしまうことになります。

ここで「10%損切り」が正しいか間違っているかは別として、ある程度いけると判断した手法で実践しても、どこかで躓くことはあります。その原因は、たまたま相場の変動に合っていなかったのか、はたまた、その手法自体が間違いだったのか分かりません。結局は分からないのです。なぜなら、投資手法に絶対はないのですから・・・。

そこで提案ですが、ある手法でチャレンジしようと考えたとき、投資家自身の運用ルールを決めて置くことです。たとえば「この手法で半年は続けてみよう」または「損切りが○回までは続けてみよう」などと、ある程度のルールを決めてスタートすることです。つまり、リスクの限度を決めてから実践に入ることです。

新しいチャレンジをしたら、その運用ルールが満たされるまで続けることです。事前に投資家自身でリスクの限度を決めているので、あまりプレッシャーを受けずに運用ができると思います。しかし、リスクを限定した、その運用ルールさえ守れないようでは、投資家たる資格はありません。市場から退場すべきです。

新しいチャレンジにおいて、その運用ルールが満たされた時点で、運用中の問題点などを整理して、さらに続けるか止めるかを判断すればよいのです。その運用ルールが満たされるまで続けることにより、そこに投資の一貫性が生まれてくるのです。

「損をしたから止める、儲かったから続ける」というような考えでは、そこから得られる投資ノウハウの蓄積にはならないのです。ある程度の期間を続ける、または、ある一定の条件が満たされるまで続ける、などのルールを設定することにより、投資に一貫性が生まれことになるのです。

投資の一貫性は、ある意味ではシステム売買であり、これらにより成功への一歩となるのではないでしょうか。



   ≪ FXブラック業者 ≫
2023/04/01(Sat)

2023/03/25 のコメントです。

株式市場は、上昇トレンドに入るかと思われましたが、再度ボックス圏に戻されてしまいました。もちあい期間は実に1年以上に及びます。

1年以上にも及ぶもちあいは、投資家泣かせの相場展開であったと言えます。よって、成績もいまひとつではないかと思います。これだけ株式市場が膠着状態では、投資家は、ひとまず他の投資先に振り向けたくもなります。

そこで、手軽なFXにチャレンジしてみようかなどと考えます。しかし、FXの取引においては、株式取引の証券会社と同じように考えていては大変なことになる場合があります。つまり、FXブラック業者の存在です。

2005年7月に金融先物取引法が改正されるまで、FXはこれといった規制がなく野放し状態でした。一方で、顧客層はどんどん広がっていましたから、ブラック業者がほっておくはずがありません。その多くが海外先物から流れてきたグループだったようですが、金融先物取引法の施行前は、残された期間で一儲けとばかりに、相当数のブラック業者が参入していたようです。

彼らの手口の基本は、消費者をあの手この手でその気にさせるところから始まります。実際に行われていた悪質な手法をご紹介しましょう。

まず、何かの名簿を使って業者が消費者に電話をかけます。学校の後輩だとか言って、親近感を持たせるのもよく使われる手口です。相手が話しに応じると、FXについて簡単な紹介を行いますが、しつこく勧誘せず、さらっと引き下がります。ただ、会社名だけはしっかり印象づけます。行儀作法が良いので、消費者は悪い業者じゃなさそうだとの印象を持たせます。

後日、アンケートに協力いただきたいなどと取り込みに入ります。アンケートは適当に切り上げて話しを終え好印象を与えます。そしてさらに後日、頃合いを見計らってブラック業者の社員が仕上げ作業に入っていくわけです。

他にも一人暮らしをする高齢者の孤独感に付け込んだり、セミナー形式の密室商法をやったり、いろいろな手を使って契約へ持っていきます。契約後に入金し売買を始めます。

売買後に問題が発生します。まず、出金拒否。お金を返して欲しいと連絡しても、なんだかんだ理由をつけて出金しない。そして、証拠金を吸い上げるだけ吸い上げて、計画的に倒産というのが彼らの典型的な手口なんです。

最近は新手の手口が見られるようです。高額なFX自動売買ツールを購入した場合などです。販売会社は、年利30%を確約し過去3年間でマイナス月はないなどと説明、そして、まもなく販売を締め切るなどとあおり契約させます。しかし、自動売買システムを購入したとたん、販売会社とは連絡が取れなくなってしまいます。

また、FX自動売買システムでの取引は海外の業者との取引システムとなっている場合があります。最近、このような海外の業者との取引において、解約、出金できない、連絡が取れないなどの事例が多発しているようです。

相談事例として、
インターネットの広告を見つけ、業者に資料を請求した。その後、業者から電話がきて「海外の業者がシステム開発したFX自動売買ソフトを限定500人に販売している。月15%ずつ増えていく」と説明されて契約した。

ソフト代約3万円を支払い、業者の指示で海外の業者の海外にある口座に約50万円を入金した。パソコンにソフトを入れると海外の業者のホームページに自分のページができ、売買画面が出てきた。順調に利益が出ていると、「上のランクのソフトがある」と言われて、さらにソフト代約5万円を支払い、口座に約300万円を入金した。

その後、ソフトを販売した国内の業者に、元金と同額の出金を依頼したが、「取引をすべて終了しなければ出金できない」と言われた。業者は「我々はソフトの販売会社であり、海外の業者に仲介しているだけ」と言っている。

売買ソフト上では儲かっているように見えても実際は売買されていない可能性もあります。注意が必要です。

FXブラック業者が倒産してしまうと、顧客は一般債権者となるわけですが、回収できる見込みはありません。倒産自体は罪になりませんから、詐欺罪を立件する必要がありますが、そこまでやっても取り戻せる確率はほとんどゼロに近いものです。

金融先物取引法が施行された平成17年7月からその年の暮までに、金融庁から債務超過を理由に業務停止命令を受けた業者は50社もあります。

おいしい話は向こうからは絶対やってきません。新しくチャレンジするのであれば、しっかりと勉強し、納得してからスタートすべきです。


格言
『欲しい物があったら必ず自分で取りに行け。外部のささやき、甘言はすべて拒否せよ。外部のすすめで失敗すると「恨み」だけが残る。』



   ≪ 長期投資と分散投資 ≫
2023/03/25(Sat)

2023/03/17 のコメントです。

投資手法に絶対はないものの「長期投資はリスクを抑える」という考えの下に、長期投資は安全であるという神話がある。果たしてそうであろうか。これは間違ってはいないのですが、全面的に正しいわけでもありません。

投資、特に株式はただじっと長く持ってさえいれば儲かると勘違いしてしまうと、痛い目にあう可能性があるのです。長期投資は損する可能性が低いなどと考えるのは明らかに間違いではないでしょうか。長期投資ではむしろ損をする可能性も高くなります。

保有期間が長くなればなるほど、投資先の破綻など想定外のことが起きる確率も高まると考えるのが自然です。サプライズは何にでもつきものです。つまり株式などを長期間保有するのは、それだけ長きにわたってお金をリスクにさらしているとも考えられます。

長期投資家の言い分としては、株価変動を10年、20年といった長いスパンでとらえると平均値に近い範囲で動くため、特定の短い期間だけで儲けを狙うよりは、長期の方が山あり谷ありを繰り返すなかで、一定水準の成果を見込めるという考え方でしょう。

「世の中、一寸先は闇」という諺があるように、長く投資していればバブル崩壊やリーマン・ショックのような相場急落に直面することもある。現状では、経済や市場は危機を乗り越え成長していくものであると考える投資家も多いようですが、しかし反面、必ず成長する保証はなく、停滞や右肩下がりが長引くこともあります。

「失われた30年」と言われたバブル崩壊後の東京市場は、かなり長期にわたる低迷を強いられたことは記憶に新しい。

長期的なチャートを見ると、市場には大きなトレンドがあることが分かります。それはアップトレンドとダウントレンドです。もし、偶然にもアップトレンドに遭遇すれば投資家の実力に関係なく収益を上げることができます。

過去の実績をベースに期待リターンという考え方があります。今後期待できるリターンがプラスである場合とマイナスの場合があります。

当然ながら期待リターンがプラスなら長期保有の効果はありますが、期待リターンがマイナスだと長期で持てば持つほど損失は大きくなります。そのような状況下で、気付いたときには大きなダメージになりかねません。結果として長期投資によって損失の金額自体は大きくなります。

「株は長く持ってさえいれば儲かる」というのは、1990年代までの日本の経済や株式市場がプラスの期待リターンだったところから生まれた先入観にすぎません。これは過去の経験則であり、唯一の体験を後生大事にしてしまうという人間の心理でもあるのです。

そしてやっかいなことに、人はそのトラウマからなかなか抜け出すことができなことにあります。長期投資は儲からないのでは?、という疑問も、バブル崩壊から30年を経てようやく出始めたくらいなのです。またプラスの期待リターンのマーケットで運用したとしても、それはあくまで過去のデータに基づいているだけであって、実際にこの先プラスになるのかは分からないのです。

では、長期投資はダメなのかとがっかりしてしまったかもしれませんが、有効な方法がないわけではありません。当欄でも何度も解説していますように、それは分散投資と組み合わせることです。

たとえば国内株式だけの長期運用だと、この30年間では大幅なマイナスになっています。たとえば、国内株式と国内債券、外国株式、外国債券に均等に分けて投資していた場合は、結果論ではありますが、資産を大きく増やすことができているのです。

これから長期投資をしようと考えている方や、単に長く持っていれば大丈夫だと思って、すでに株などを保有している方は、まず長期投資は決して万能ではないことを理解する必要があります。

そして投資する資産を分散し、リスクとリターンのバランスをとって初めて長期投資のメリットが生かせることを理解し運用すれば、目先の相場に振り回されない資産づくりが可能になるでしょう。



   ≪ すばらしい日本 ≫
2023/03/17(Fri)

2023/03/10 のコメントです。

最近は格差社会の問題が顕在化しているのです。アメリカでも富裕層と貧困層の格差が最大に広がっているという。自由主義、資本主義国家であるアメリカのいわゆる「1%」の金持ちと、残りの「99%」の低い所得者の格差である。ウォール・ストリートを占拠せよというデモは、こういった現実に対する人々の怒りが現われたものだと言えます。現在は、ウォール・ストリートがアメリカを牛耳っているといっても過言ではない。

現在、アメリカでは上位1%が、約40%の金融資産を独占しており、これは2008年のリーマン・ショックまで拡大傾向にあった。また、CEOと従業員との格差もこの20年間、急速に拡大した。ピークの時には、従業員とCEOで報酬に500倍ほどの格差があった。一方、日本は、CEOの報酬が世界的にみて低くいようだ。

このような格差社会は世界各地に広がっており問題化している。そこで、私の考えるところの「資本主義」について述べてみたい。資本主義は能力主義、実力主義であり、努力したものが報われるというすばらしいシステムである。しかし、物事には必ず二面性があるものです。

私は資本主義の最終的な到達点は、富の「二極化」ではないかと考えています。その最たるものが、現在アメリカで起きている「1%」「99%」の二極化現象です。富める者と貧しい者との格差の拡大です。これが資本主義の最終地点ではないかと考えます。

この二極化がさらに拡大していくとどのような現象が起こるか?。それは反乱であり暴動である。貧しい者が富める者からの略奪行為です。これは歴史が証明していることでもあります。中国における暴動もこれに近いものがあります。中国では、暴動、騒動、抗議デモが、年間20万件も起きているという。

実際、アメリカでは、この格差による暴動や略奪に対抗するために、富裕層だけのコミュティが形成されつつあるという。富裕層だけが一区画の町に住み、その中には学校もあり、病院もあり、スーパー・マーケットもある。教会もあります。治安の悪さから、町全体が外敵から守るため塀で囲まれて要塞化しています。夜になるとガードマンがその入り口を閉ざして、住民以外は出入りができなくしてしまうそうです。

自由主義、資本主義はすばらしいと言っても、このような環境では暮らすのはいかがなものでしょうか。日本においては、小学生が夜10時ごろ塾からの帰りだろうか、一人で電車に乗っている姿を見たことがある。しかし、アメリカではこのようなことはありえない。もし、小学生が夜10時ごろ一人で電車に乗っていたら、親は児童虐待で逮捕されてしまう。

ここにも格差社会の拡大による影響(治安の悪さ)が出てきている。現在、資本主義先進国であるアメリカがこのような状態にある。「1%」「99%」と聞けば、アメリカ以外にどこかの国を思い出さないだろうか。そうです。中国です。

中国の現在の政治経済システムは、実質的には社会主義市場経済であり、資本主義的手法による共産党という名前の一党独裁による政治経済運営体制です。

中国では「1%」の特権階級と「99%」の身分制度のある農民工をはじめとする低所得者階級。中国は共産主義国家である。アメリカと中国は主義主張のまったく異なる国家でありながら、経済的には「1%」「99%」の二極化。この二極化は、結果として同じようなものになってしまっている。

つまり、資本主義と共産主義は同類?、ファシスト国家?・・・。なんと皮肉なことなのだろうか。

日本はアメリカと同様の資本主義国家である。よって、日本も将来は現在のアメリカや中国と同じような国になってしまうのだろうか。受け入れがたい現実ではあるが・・・。

資本主義の最終的な行き着く先は、究極的な二極化となってしまうことである。これでは問題が生ずる。ではどのような経済主義が良いのだろうか・・・。私が考えるところの資本主義は、最終的に一部の人に富が集中してしまうというところ問題がある。これを解消するには、富の再分配が必要であろう。

その再分配も消費税のような、一律的な徴収によって再分配するのではなく、多くの富を有する者が法律的(税制)ではなく、自発的に自ら弱者に対して社会還元をするようなシステムが理想的な資本主義ではないかと考えます。たとえば、財団などを設立して社会還元を行う。また、現在あるNGOやNPOなどをさらに発展させるべきでしょう。はたしてそれは可能だろうか。

これらの「法律的ではなく、自発的に自ら」となると、これまた難しい。自発的な還元を実現するためには「人間は共存、共栄して行くものである」という、人間が本来生存していくための原点を立ち返らなければならない。このような深い考え方、つまり、レベルの高いイデオロギーが必要となってくる。そのためには、より人間的で高度な文化を作り上げなければ「自発的に自ら」とはならないと考えます。

私は、この理想的と考えられる資本主義のベースは現在の日本にあると思う。いや、日本以外にはないと思う。そのためにも、日本には政治的、経済的にも世界に通用する強いリーダーが必要とされます。

今後、日本は現在のアメリカや中国のようにはならないと私は思います。これからは、アメリカ経済の凋落、中国のバブル崩壊などが考えられます。これらに対し、日本は経済的に復活し、日本による日本型の資本主義がグローバルスタンダードとなる時代に入ってくると思っています。

日本は明治時代以前には、良くも悪くも鎖国制度が引かれており、また、島国であったため、容易に外敵に進入されずにいた。そのため日本独自の文化が形成されたという経過がある。その間に日本人には、共存、共栄という文化が培われてきた。つまり、お互いに助け合う相互信頼の精神が養われてきたということです。

また、日本の歴史は長く、単一民族国家であり、世界に類を見ない国である。日本ほどすばらしい国は世界中のどこにもないだろう。民度の高さ、素養の高さ、モラルの高さ、勤勉さ、マナーのよさ、向上心、もてなしの心、思いやりなど、どこをとっても世界から賞賛されている。特に、東日本大震災における日本人の行動は世界から賞賛されたことを思い出してほしい。「謙譲の美徳」という言葉があるが、このような言葉は日本くらいにしかないだろう。

どこかの国のように「恩」や「思いやり」などの言語のない国がある。それらしき言葉はあっても日本人が考える「恩」や「思いやり」とは程遠い。「恩」や「思いやり」の言語が無いということは、そのような文化がその国には無いということでもある。損得しか考えないような国は世界のリーダーにはなれない。世界には、日本の価値観とまったく異なる国がいかに多いか認識しておく必要がある。

日本には四季があり、それぞれの季節のうつろいや四季折々の食文化など、他国には無い独自のすばらしい文化が育まれてきたすばらしい国である。もっと自信と誇りを持つべきである。

元名古屋グランパスエイト監督のアーセン・ベンゲルが言っていた言葉が印象的だ。『信じられるかい?、こんな理想的なすばらしい国を築いたというのに、誇ることを知らない。日本の現実は奇跡にしか思えない。日本ほどすばらしい国は世界中のどこにもないだろう』と言っている。

ベンゲル氏が言うように、問題は日本のすばらしさ、突出したレベルの高さについて、日本人自身がまったく分かっていないことではないだろうか。海外に行って比較してみれば日本のすばらしさが痛いほどわかる。

最近、日本の経済システムや日本の文化のすばらしさに世界から注目されている。車などの工業製品の信頼性、技術力の高さ、寿司などの和食文化のすばらしさ、四季の織りなす風情、歴史のある伝統文化、さらには、漫画やアニメなどは世界を圧冠している。元フランス代表のサッカー選手のジダンは、日本のアニメ「キャプテン・翼」に感動して、サッカー選手になったという。

このように、すばらしいアイデンティティーを持つ日本人、近代化され完成された都市、古き良き文化が融合した神秘的で魅力的なニッポン。これからの日本は、自由主義、資本主義国家として世界をリードしていくべきである。また、それができる国である。



   ≪ 原因と結果と確率 ≫
2023/03/10(Fri)

2023/03/03のコメントです。

株式市場は昨年より往来相場を形成しています。行ったり来たりの小幅な展開では投資家も頭の痛いところです。投資家は「小幅な相場展開、つまり、もちあい期では目先的な売買(小すくい)で取るんだよ」などと言っています。理屈はその通りだと思います。

世の中はすべて理屈道理にはならないことは周知の通りです。何度も解説しましたが、これからもちあい期に入ると判断できれば、当然ながら目先的な売買は有効です。では「もちあい期に入る」との判断は何をもって決定するのでしょうか。

株式投資の解説などでよく見受けられますが「もし、上昇すると判断したなら。もし、下降すると判断したならば・・・」などの説明がある。これでは何の根拠もない。投資に一番重要な「上昇する、下降する」の判断根拠がまったく記されていない。非常に無責任である。

ここでの「上昇、下降」の判断は、主観的な判断ということなのだろうか。主観的、感覚的な判断では儲からないことは分かっているはずなのに・・・。

ある試行または観察(たとえば、さいころを振る)を行った結果起こり得る確率は、回数が増えれば増えるほど、ある一定の確率に回帰するのである。また、ある現象が起きた場合には、その現象(結果)には原因が必ずあるものです。

つまり、原因と結果、さらに確率的な要素を含んで事象は発生するものです。これらの視点から、投資の世界も見ていく必要があるのではないでしょうか。

話は戻って「上昇する、下降する」「もちあい期」の判断をこれらの視点から捉えるとすれば、いかがなものになるでしょうか。

ここでは、あくまでも私の個人的な判断として考察してみます。当然ながら、反対意見もあることを承知しながら話を進めてまいります。

まず「もちあい期」についてですが、「ここからがもちあい期」とは分からないものの、株価変動が一定の期間が経過した場合には、ある程度の捉え方は可能であると思います。

一般に、株価の変動幅が小さく、それらの変動が継続されている状態を「もちあい」と判断しますが、私は、その変動幅を「20%」と定義しています。たとえば、ある銘柄の株価の安値が500円とした場合、その20%高は600円となります。つまり、株価が安値を基準として、その安値から20%以内で変動している場合は「もちあい期」と判断しています。

では、その「20%」の根拠(原因)は何だということですが、これは「ある一定の確率」ということになります。私が膨大なシミュレーションを行った結果から導き出された数値です。もちろん、これらの数値に疑問を持つ方もおられると思いますが、それはそれで良いと思います。

以前に、私もこのシミュレーションから導かされた「20%」とは何なのだと考えたことがあります。そこで私が出した結論は、多くの投資家の心理的な利食い幅は20%であると考えました。短期的な売買において、利幅20%は納得できる利幅であり、多くの投資家が満足できる数値ではないかと考えました。このようなことから平均値である20%という数値に納得しました。

この考え方は今でも変わっておりません。ここで申し上げた「20%」は、あくまでも個別銘柄を対象としたものであって、日経平均やTOPIXを対象としたものではありません。では、日経平均やTOPIXなどの指標はどのように判断したらよいのだろうか。

ここでの「20%」は、あくまでも個別銘柄における平均的な数値であり、確率的な数値であることを申し添えておきます。

通常、指標等は個別銘柄の平均値などを利用して算出しています。そのため、私は指標における「もちあい期」の判断は「10%」としています。この数値を現在の日経平均に当てはめて見ると、日経平均は昨年5月から見ますと、おおむね25500円から28500円程度の往来相場を形成していますが、安値25500円の10%高は28050円であり、現在の往来相場はほぼこの範囲内に収まっています。

よって、現在の日経平均は「もちあい期」と判断しています。もし、これらの範囲を突破して範囲外に変動して行った場合には、トレンドが発生し上昇、または下降となったと判断できます。

私はこのような判断基準をもって相場を捉えていますが、絶対のない相場の世界ですから、そのほかの判断基準でも良いと思います。いずれにしても、物事は原因と結果、さらに確率的な要素で動いているのかなあと考えているところです。



   ≪ 投資基本の欠如 ≫
2023/03/03(Fri)

2023/02/24のコメントです。

以前の投資雑誌「ダイヤモンド・ザイ」に、株式投資家の実態なる解説が掲載されていましたのでご紹介いたします。投資家自身の投資手法と照らし合わせながら考えてみてください。

まず、その解説のタイトルは「投資で負けてばかりいる人の実態が判明、その共通点は銘柄選びへの執着だった!」であった。平均年齢は勝ち組よりやや低めで、投資歴が浅い人が多く、退職時に保有していたい額も控えめ。年齢は若いがネット証券で投資する人の割合は勝ち組より低く、コストには無頓着な人が多い、とある。

もう何年も投資をしているのに一向に勝てない人には、どんな問題があるのだろうか。ダイヤモンド・ザイ編集部では、この疑問を解明するために投資家1万人大調査を実施した。その結果から浮かび上がってきた実像とは・・・。

「負け組はリスク回避の管理を怠る習性があり、投資であるにもかかわらず元本割れが許容できない人も多い」と言う。投資家1万人大調査のデータをこまめに調べ、資産1億円未満で直近1年の成績が0%以下の人を負け組と定義し、勝ち組の人と比較してみた結果として・・・。

負け組の平均年齢は51.5歳とやや若めで、株や投信への投資年数が浅め。日本株での過去1年の実績は0.6%増と、80%増の勝ち組と比べるとかなり低い成績だ。また、投信を買っている人はわずか20%に過ぎず、NISAを開設している人も31%。低コストのネット証券で投資をしている人も28%と3分の1以下で、コストに気を配らない投資家が多いことがわかった。

投資スタイルでも、勝ち組との差が顕著に出ている。たとえば、「投資のタイプ」では、株では株主優待狙いがダントツで、投信でも分配狙いやローリスク・ローリターン狙いが多い。さらに、「1年間で許容できる損失」については、「元本割れは許容できない」人が48%と、リスクを回避する志向が強いことも判明した。

「最初の銘柄選びだけに注力し、その後はほったらかしで負ける!」。さらに、驚くべきは「投資のルール」で「守っているルールがない」という人がダントツに多かったこと。

「分散投資」はかろうじて20%近くになったが、その他の項目はおおむね10%以下。また、「銘柄選びのポイント」では、「株主優待」と「配当利回り」の2つのみが30%を超え、勝ち組に多かった「相場全体の動き」はなんと0%。非常に狭い視野で銘柄を選んでいる。そして、「会社名を知っているかどうか」を重視している人の割合も、勝ち組と比べると多いのが特徴だと言う。

「儲けるためのポイント」でも、売買タイミングよりも「銘柄選び」と答える人が多く、さらに「収支の確認頻度」は、株式投資においても「1日に1回」はわずか24%で、銘柄選びをした後はほったらかしにする人が多い。総合してみると「リスクは回避したいけれど、買ったあとはほったらかし」という矛盾する行動が負け組の特徴だと言う。

結論として「元本割れを許容できない人は投資が何なのかがわかっていません。投資はリスクを前提でどう収益をあげていくかを考えなければならず、買った後にほったらかしにするのは愚の骨頂です。また銘柄選びだけに固執するのもダメ。株主優待、配当、知っている株かどうかだけで銘柄を選ぶのは、負けて当然です」と結んである

以上の内容から、リスク管理の怠慢、銘柄至上主義、投資ルールを持ち合わせていない、売買手数料などのコスト意識の希薄、元本割れが許容できない、分散投資の欠如、「相場全体の動き」の認識がない、などの問題点が浮かび上がってくる。

これらの問題点と投資家自身の投資手法と比較していかがでしたでしょうか。投資における最低限の基本が欠如していては儲かるはずもありません。



   ≪ 自由と権利と義務 ≫
2023/02/24(Fri)

2023/02/18のコメントです。

まだ寒く、早く春が来ないかなあと感じる今日この頃です。四季の移ろいのある日本は、とても住みやすいくすばらしい国だとつくづく思うところです。

さて、少し堅い話になりますが、「自由」とは何だろう。多くの人々は自由と聞けば、それは素晴らしいことであり、開放的なイメージを抱くことでしょう。まず、自由という言葉を聞いて嫌悪感を抱く人はいない。辞書には「自由とは自分の意のままに振る舞うことができること」とある。

どこかの国と違って、日本は自由主義社会であり、人々が自由に発言したり行動をすることができる権利を持っていて、それが法律に反する事でない限り、人はそれを尊重するべきであるということです。実にすばらしいことです。

経済においても、とりわけ投資の世界においては、その「自由」はいかんなく発揮され、最近はグローバルな時代となって海外の株式も購入することができます。株式投資ではどの銘柄を買っても売っても自由です。また、どれだけの資金量をつぎ込んでも自由です。これらの点ではまさに自由主義バンザイと言ったところです。

しかし、自由とはすばらしいことだけなのでしょうか。私は、すべてのものは対を成し二面性を持っていると思っています。たとえば、陰と陽、善と悪、苦と楽、正と負、富と貧・・・、このように物事はすべてバランス(調和)の上に成り立つと考えています。バランスが崩れると問題を引き起こすとになります。

話はちょっと逸れますが、あるとき知り合いの投資家に私の書いた「迷言集」を差し上げました。この迷言集は私が相場から学んだ投資の本質や人生感について書いてあるので、少しは投資のお役にたつのではと申し添えました。

後日、彼から「相場について何も書いてないじゃないか」と連絡があった。そこで私は「相場については直接的な言葉ではなく比喩的に書いてあるので、その深い意味を読み取って頂きたい」と申し上げた。語録の中の「自由とは素晴らしい。しかし、規律のない自由は暴走し、崩壊を辿る」を例をあげて次のように説明しました。

「株式市場は何を買っても売っても自由であるし、何株売買しても自由でしょう。しかし、何のルール(規律)も持たず自由に売買すれば、いずれ歯止めが利かなくなり暴走して、結果的には破綻するのではないですか」と説明した。理解されたか分からないものの、自由とはルール(規律)の中にあるものであり、そこにルールがなければいずれ崩壊してしまうものではないでしょうか。

株式投資に絶対はないものの、株式取引においては絶対的なルールがあります。それは信用取引における「追証」と「信用期日」です。これらのルールは、証券会社サイドの保全という意味合いもありますが、最低限、投資家を破綻させないためのルールであるとも解釈できます。もし「追証」や「信用期日」のルールがなかったとしたら投資家はどのような結果になるでしょうか。

一般に「権利を主張する者は多い。しかし、権利とは義務を果たしてから初めて主張できるものであることを自覚するべきである」とあるように、自由とは権利でありますが、投資の世界では自由という権利を守るためには、おのずとそこにルールという義務がついて回るような気がしてなりません。

一般社会において、人々は自由な発言や行動をすることができる権利を持っています。しかし、法律(ルール)を犯せばペナルティ(罪)が発生します。株式投資においても規律(自己ルール)を守らなければペナルティ(損)が発生します。

よって、株式投資で成功するためには、自己ルールの確立とその厳守ということになるのでしょうか。



   ≪ 分からないことはやるな ≫
2023/02/18(Sat)

2023/02/11 のコメントです。

私の語録に「欲しい物があったら必ず自分で取りに行け。外部のささやき、甘言はすべて拒否せよ。外部のすすめで失敗すると「恨み」だけが残る」とある。つまり、人の勧めには安易に乗るなということです。

「人の勧め」、つまり、セールスなどが昼夜に関わらず攻勢してくる、「これは有利ですよ。これは儲かりますよ」などと、いかにその商品がすばらしいかをまくしたてる。BSチャンネルのコマーシャルなどはその典型かもしれません。これらのコマーシャルも毎日毎日見ているとサブリミナル効果となり潜在意識にインプットされ洗脳されてしまう。

『サブリミナル効果とは、意識と潜在意識の境界領域より下に刺激を与えることで表れるとされている効果のこと』

人に勧めることは、勧められる人にもメリットもあるかもしれませんが、一番メリットがあるのは勧める側であることを自覚しておかなければならない。勧める側に何のメリットもないのに勧めるわけはありません。ボランティアではあるまいし。ともかく、日本人は、お人良しで疑うことことを知らない。「振り込め詐欺」がなくならないのもその辺りにあるのでしょうか。

さて、これらと同様の話ですが、我々の業界でも一時期NISA(ニーサ)の売込みが激しかった。NISAとは、小額投資非課税制度というもので、最高100万円までの株や投資信託などの運用益や配当の利益に税金がかからないシステムである。

誰彼かまわず、100万円までの投資ならどれだけ儲けても税金はナシにしてやるからと、うまいことを言って口座数を増やしてるのです。日本の眠っている金融資産が1600兆円あると言われており、そのお金をわずかな定期預金の利子で増やすよりは株でもやって増やせという、まさに国策事業です。

当然ながら私のところにもNISAの誘いがあった。私は言ってやった。「私は人の勧めは一切受け付けないことにしています。これを信条として生きていますから・・・」と言ったら、その後一切勧誘はなかった。

NISAは一般市民に投資に関心を寄せるためとも言われていますが、NISAにはいろいろ問題があり、制度を変えるべきという考えの人が増えてきました。どういう状況なのか考えてみましょう。

人間の心理としては、口座にお金を入れたら、早速何か株を買ってみたくなるはずです。現在、株価はやや下降ぎみであり、NISA口座のほとんどのお客さんは、含み損を抱えている気がします。

NISAに100万円のお金を口座に入れると、無税としての取引可能額は現物の100万円のみなのです。従来の株取引は回転売買と言って、100万円分の株を買って、それを失敗して95万円で売れば、また95万円から、別の買い物ができた。NISAはその再利用が非課税としてはできないわけです。

つまり100万円で、年に1回か2回のチャンスを的中させて、それで利益確定を狙うことはトップディーラーですら困難なことを全くのビギナーに強いているのです。

個人投資家が含み損を抱えている現在ですが、大手企業側は安定した株の引き受け先が見つかってひと安心していることでしょう。仕方ないので各企業の優待券とかもらって気長に待つしかありません。結局、NISAは各企業や証券会社に非常に有利だったということです。

以上のように、人の勧めには慎重に対処するべきであり、安易に乗らないことです。もしあなたが、何の知識もなくセールスの「儲かりますよ」の言葉を信じ、その話に乗って失敗したらどうしますか。

資産が多くあれば「仕方がない」で済ますことができるでしょうが、もし、虎の子の資金を投入して失敗した場合はいかがでしょうか。怒り狂って「だまされた」となるでしょう。人を恨むことは勝手ですが、欲をかいてその話を受け入れた無知だった自分にその責任の半分はあることを忘れてはいけない。

結論としては「人の勧めには乗るな。分からないことはやるな」ということです。やるなら自分で勉強して納得してから始めるべきです。



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