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   ≪ 流れに沿った売買 そのU ≫
2018/04/15(Sun)

2018/04/08 のコメントです。

株式市場はニューヨーク市場の影響で荒れ模様ですが、我々個人投資家は外部環境がどのようになろうと、したたかにチャレンジして行かなければなりません。前回、どのような相場環境でも継続的な運用を行うには「流れに沿った売買」が適していると解説しました。

暴落などは、投資の世界の恐ろしさをまざまざと見せ付けられます。そして、投資家はそのような環境の中で多くの体験をします。それらの体験の中で、もし、その売買を「流れに沿った売買」であったとしたらいかがだったでしょうか。

「もし」という仮定の話は相場の世界では通用しないことは承知していますが、暴落の場合「流れに沿った売買」であれば、ほとんどの銘柄が「空売り」となって、それなりの利益も見込めるのではないでしょうか。

では「流れに沿った売買」とは、具体的にどのような手法を言うのでしょうか。「流れに沿った売買」とは、大きな意味での「順張り」ということになります。つまり、下げを確認してからの「空売り」、上げを確認してからの「買い」ということです。

これらの判定如何で投資成績が大きく変わってしまうほどです。しかし、これらの判定は非常に難しく、私自身も長年研究をしていますが、究極のシステムの完成には至っておりません。もしかして、これらの判定は永久に無理なのか、あるいは、まだその究極の手法が発見されていないのか・・・。悩むところです。

仮に、その判定の確率が50%とします。つまり勝率が50%であるということです。勝率50%であるとすれば、この条件下で利益を上げようとするならば、やはり、利益の時は大きく、損の時は小さくする以外の方法はありません。

しかし、これらは理屈であって、実践となるとなかなか難しいものです。そこで、簡易法ながら、ひとつの考え方を提示してみたいと思います。これらは、あくまでも考え方として捉えてください。

まず、一番簡単な「流れに沿った売買」は、株価が高値から○%下げたら下降転換、株価が安値から○%上げたら上降転換とすれば、安易にその判定はできるはずです。しかし、実際にこの手法で売買しても収益は上がらないと思います。なぜなら、それは誰でも考えそうな手法ですから・・・。

実際には、これらの転換で売買をするのではなく、転換後の手法が重要になります。ここで、ある程度の転換点を見出した後に、その転換に沿った逆張りを行うのです。ここで重要なことは「この逆張りは、転換を確認してから行う」ということです。

ここでの逆張りは、決め打ち的な逆張りという意味ではなく、買いの場合であれば「下げ止まり」を確認後ということになり、空売りの場合であれば「上げ止まり」を確認後に仕掛けに入るということになります。「上げ止まり」「下げ止まり」は、ある意味では、超目先的な順張りと言えなくもないのですが・・・。

買いに入ったら「上げ止まり」で利食いします。空売りに入ったら「下げ止まり」で利食いします。もし、目先売買の場合に、買いの仕掛け時の「下げ止まり」の最安値を切ったら損切りする、空売り仕掛け時の「上げ止まり」の最高値を抜けたら損切りするなども効果的です。

ただし、上昇転換を確認したら、その後の売買は下降転換するまで「買いのみ」で行うものとします。下降転換を確認したら、その後の売買は上昇転換するまで「空売りのみ」で行うものとします。

ここでの「上げ止まり」「下げ止まり」の確認は、一般の目先的なテクニカル分析指標でも可能であると思いますが・・・。

相場格言に「森を見て、木を見よ」とありますが、ここでの森は「転換の判定」であり、ここでの木は「転換後の逆張り」に当たります。

「上げ止まり」「下げ止まり」については、拙著「仕掛け・損切り・利食い、プロのノウハウ」に記載されていますので参考にして下さい。

以上のような考えのもとに投資手法を組み立てることにより、継続的な運用が可能な「流れに沿った売買」となるのではないでしょうか。私が長年、相場の世界を体験してきて、現在考える中ではベストな投資手法ではないかと思われます。これらの考え方は、遠い昔の中国の投資指南書にも書いてあったような気がします。



   ≪ 流れに沿った売買 ≫
2018/04/06(Fri)

2018/04/01 のコメントです。

投資手法において、通常の相場展開では、一般的なファンダメンタル分析やテクニカル分析もある程度は機能するでしょう。しかし、相場には考えてもいないような展開も起こります。○○ショックによる急落や要人の発言などによる急騰など。そのような時、投資家は通常の分析手法が役に立たないことを実感されたことでしょう。

そこで、相場急転で懲りた投資家は、急騰、急落でも通用する手法を模索することになります。あれこれ苦心して、急騰、急落でも凌げる売買手法がある程度でき上がったとします。しかし、急騰、急落にも対応した売買手法を見つけたとしても、その手法がオールマイティにどのような相場展開でも通用するでしょうか。

相場には上昇相場、下降相場、そしてもちあい相場とあります。さらに上昇期には大暴騰もあるでしょうし、下降期には大暴落もあるでしょう。これらに対応した売買手法が、果たしてすべての相場変動に通用するでしょうか。

テクニカル分析を好む投資家は、多くのテクニカル指標から自分なりに合った、いくつかの指標を組み合わせなどして利用されると思います。この時に急騰、急落に指標を合わせ、それらを利用し理屈の上では急騰、急落を乗り切ったと仮定したところで、これらは実際の運用では通用しないと思います。

これらはファンダメンタルズ分析においても同様なことが言えると思います。なぜなら、通常相場では機能するPER、PBRは、急騰、急落の時に適用できるでしょうか。これらの指標の水準が未来永劫、基準として採用できるでしょうか。

つまり、投資の世界には絶対的な基準がないということです。ではどうするか。これらの問題は、投資家の永遠のテーマとなっています。しかし、現在投資活動をしている投資家とっては切実な問題でもあります。私とて、これらの問題に対峙し、日夜孤軍奮闘している状態です。

投資とは、これから有望だろうと思われるところに先行して資金を出資するものです。「これから有望・・・」を心の支えとし、また信じての行為ですが、そこには、不確定要素というリスクも多く内在していることでもあります。

現在のような情報化社会では、その経済状況がめまぐるしく変わり、対応できない状況にあります。暴落時には、まるでバンジージャンプをしているようです。企業経営者も想像すらしていない状況になるのです。

経済状況の急変により、経営者も想像できない状況下で、結果的に、我々投資家はさらに想像もできない事態となっています。これから先の経済状況も読めない状況では、さらに投資に対する自信も持てなくなってしまいます。

傷ついても八方塞がりの状況下であっても、投資を志す者は、あきらめず勇気と気力と知恵を持って進むべきです。そこで、上記の問題を解決する方法、つまり、どのような相場展開になろうとも運用が継続できる方法は何か考えて見ましょう。

これらの問題の解決策は非常に簡単なものです。これらは、私自身が実践し、長い間相場の世界で生き抜いてきた考え方です。それは、当欄でも何度も解説しています「流れに沿った売買」です。

「流れに沿った売買」、つまり、株価が下げ始まったら「空売り」し、株価が上げ始まったら「買い」に入るという、いたってシンプルな手法です。相場の流れに逆らわず、流れに沿った売買です。これらの考えを基本として、売買手法を組み立てることです。

投資家は、企業業績の見通しを立て投資するわけですが、これらの企業業績も遅かれ早かれすべて株価に繁栄してくるわけです。また、企業業績(暴落以前の業績)も無視した大暴落においても「流れに沿った売買」であれば無難に運用継続が可能になるのではないでしょうか。

どのような相場展開でも通用するオールマイティな投資手法があるとすれば、それは「流れに沿った売買」であると私は確信しています。よって、これらの考え方をベースにして投資手法の構築を図るべきではないでしょうか。



   ≪ 体験に勝るものなし ≫
2018/03/30(Fri)

2018/03/25 のコメントです。

株式市場は世界的に下落した。これは、トランプ米政権が貿易赤字削減に向け、アメリカン・ファーストの一環である保護主義政策を相次いで打ち出した結果である。これらにより世界の株式市場で株価が急落するなど、世界経済は政治リスクに直面しています。

朝起きて相場を見たらびっくりするほど下げていて、狼狽してしまった投資家も多かったのではないかと思います。相場の世界では、このようなサプライズは常に発生するため、投資家は常に対処しておかなければなりません。

では、このような突然のアクシデントに対応するには、どのようすればよいのか考えてみましょう。

投資での最大のリスク管理は「損切り」でしょう。しかし、その損切りは精神的に痛みを伴うものであり、ましてや損切りが続けば嫌気がさしてきます。相場とはそのようなものだと分かっていても割り切れないものがあります。

損切りは一番辛いものではありますが、もっと辛いことがあります。それは損切りしたものの、そこをボトムとして急騰してしまった時には、損切りによる損失と急騰により儲けそこなったという思いでダブルのショックを受けます。

損切りはやむを得ないとしても儲けそこないは損切りよりさらに辛いものでしょう。投資家であればこのようなことは何度も体験されているのではないでしょうか。このような現象は、投資の世界に参入したことを後悔させる現象でもあるのです。

それではこのような現象、つまり損切り後に急騰して後悔するようなことは避けられないのでしょうか。損切りはやむなく受け入れるが、どうも損切り後に急騰することには絶えられないと多くの投資家は嘆いています。

そこで、これらの対策について考えて見ましょう。まず、ある銘柄を買い付けしたとします。買い付け後に損切りラインを設定します。そこで、その損切りラインに(同銘柄に)逆指値で「売り(空売り)」を入れておきます。

*「逆指値」について分からない方は、取引証券会社にお尋ねください。

買い仕掛け後に当初設定した損切りラインに達した場合には、そのラインに空売りが入ります。これで買い付け銘柄と同銘柄の空売りを行ったことになります。これで損切り金額が確定したことになります。その後は株価がどのように変動しても損切り金額に変化はありません。

しかし、このままでは損切り金額が固定されたままです。もし、株価がそのまま下落して戻りそうもないときは、いつでもどのポジションでも任意に買い銘柄と同空売りを同時に決済します。これで損切り金額が確定することになります。

もし、損切り水準に達して同銘柄を空売りしたとします。その後株価が急騰してきた場合、どの水準でも構わないのですが、できるだけ買値の水準と損切りの水準の間で空売り分のみを決済します。

この時点で当初の損切り金額が確定します。その後は株価上昇についていき、買い付け値を上回れば当初の利食い目標値で利食いします。しかし、それは相場のことであるから、予想通り順調に上昇して利食いできる保障はありません。

上昇と見込んで空売り分をはずしたものの、意に反して下落してしまったらどうしたらよいものか。その場合は最初の損切りラインに達したら再度同銘柄の空売りを行えば良いわけです。そして、上記の対処を繰り返します。

新規の仕掛けと同時に、設定した損切りラインに反対売買の逆指値を入れておけば、不安になって、いちいち相場を見ることなくメンタル面の負の部分が大いに軽減されることになります。

これらの一連の作業は「つなぎ売買」の一部ですが、一度体験されると分かりますが、単発の損切りより精神的な負担は考えているより軽減されることは間違いありません。「体験に勝るものなし」です。

投資の世界では主に上がるか下がるかに終始しがちですが、実践では投資のテクニックも学ぶ必要があるのではないでしょうか。



   ≪ ギャンの投資手法 ≫
2018/03/23(Fri)

2018/03/18 のコメントです。

私は常々「ブームはバブル」と述べています。投資体験の長い方には理解いただけると思います。これは投資の世界に限ったことではなく、あらゆる経済活動や一般社会にも言えることです。

最近のブームと言えばやはり仮想通貨でしょうか。ある米国の経済学者が述べていました。「我々の考えでは、ビットコインの内在的価値はゼロだ」とし、「例えば国債や株式、紙幣にはそれに対して支払いの義務を持つ対象があるが、ビットコインにはない。ビットコインは収入も生み出さない」と論じた。

そして、ビットコインは資産バブルの本質的な基準を全て満たしていると分析。過剰取引や「新時代」的考え方、高いレバレッジを挙げ、教科書通りのバブルだと指摘。「恐らく今にもはじけるところだ」と記した。仮想通貨ビットコインのバブルがはじけるのは時間の問題。ビットコインは本質的に無価値だからだと述べている。

投資とは自己責任であるが、ビットコインの内在的価値はゼロであるならば、これを投資と言えるのだろうか。ギャンブルと投資は根本的に異なるはずです。Googleが仮想通貨の広告を2018年6月から禁止する。

さて、私は最近、積み上がっていた本棚を整理した。私の本棚には3種類の本しかない。「投資関係」「パソコン関係」それと「心理学」の3種類です。少し整理して処分しようかと思ったが、今は役に立たない本でもなかなか思い入れがあって捨てられない。

投資初心者向けの書籍もあるので、これらは処分しても良いと思った。しかし、心理学の書籍は捨てられなかった。投資で苦しんでいたときの思い出がよみがえり、大いに癒されたこともあったので処分しきれないでいる。そろそろ断捨離の年代でもあるのだが・・・。

本の整理をしていたら分厚い懐かしい本が出てきた。それは「W、D、ギャン」の著作集であった。だいぶ昔に読んだ記憶はあったが内容は忘れていた。そこでペラペラとめくってみた。

ギャンは1878年にテキサスの綿花農家に生まれ、家業を継ぐことなく投資家となった。1929年のNY株式大暴落など数々の相場を体験し、1900年前半に活躍した伝説のトレーダーである。

著書にはギャンの投資理論にはいくつかの法則が書いてあった。それを一項目ずつ読み返してみた。そして、現在の自分の投資法と比較してみた。

法則の内容をいくつか紹介してみましょう。

@ 投資金は一度に全部投資せず、小額から運用する。
A ストップロスオーダー(逆指値注文)を使い、損失は最小限に抑える。
B 過剰取引はしない。資金配分を守る。
C 含み益が出たら利益を減らさないように逆指値を上げていく。
D トレンドには逆らわない。
E 迷ったときは手仕舞い、ポジションを解消する。
F 値動きがあり、売買が活発な銘柄(市場)で取引を行う。
G リスクを避けるために、分散投資をする。
H 指値注文ではなく、すべて成り行き注文で売買する。
I 根拠のない理由で手仕舞いしない。
J 買い乗せ(売り乗せ)のタイミングに注意する。
K ナンピンはしない。ナンピンはトレーダーの最大の誤りである。
L 小さな儲けと大きな損は避ける。(損小利大)
M 建玉と同時に逆指値を行い、これをキャンセルしない。
N 極端に頻繁な売買は避ける。
O 買いだけでなく空売り(信用売り)も積極的に活用する。
P 値ごろ感にとらわれない。安い(高い)という理由で買って(売って)はならない。
Q 明確な理由なしにポジションを変えてはいけない。
R 相場の天井、底を闇雲に決め付けない。
S 他人の助言を鵜呑みにしない。自分で研究し、自分のルールを持つ。

など。

大筋では私の投資に対する考え方と大差はなかった。また、当欄に解説している内容にも合致する。

特に「Dトレンドには逆らわない」「H指値注文ではなく、すべて成り行き注文で売買する」「Kナンピンはしない」「L小さな儲けと大きな損は避ける。(損小利大)」「O買いだけでなく空売り(信用売り)も積極的に活用する」「S他人の助言を鵜呑みにしない。自分で研究し、自分のルールを持つ」などは当欄で何度も解説している内容である。

ギャンの投資手法に異論を唱える投資家もいるだろうが、投資の世界に長い間身をおいている私にも共感できる内容であり、投資家の皆さんにもぜひお勧めしたい項目も多い。ご参考までに。



   ≪ 相場の真実 ≫
2018/03/16(Fri)

2018/03/11 のコメントです。

投資家は常に理想と現実の狭間で悩んでいる。理想とは「このくらい儲けられればいいんだがなあ」との期待感です。現実とは、理想と現在の自分の成績のギャップにある。また、投資家には自分の考えは常に正しいというプライドがあるため、成果によっては、そのプライドが傷つけられることがあります。

このように投資家は常にジレンマと自己矛盾の中で格闘しています。これらの問題を解決する方法はないのだろうか。ジレンマと自己矛盾が続けばいずれ疲弊して市場から退場することになるだろうから・・・。

多くの投資家はこのような問題を抱えながら投資活動を行っているわけですが、これらの問題を原点に立ち返り考えてみる必要があるのではないでしょうか。

当欄の解説は、主に投資家の心理面や投資技術を主体として解説しています。心理面においては、私自身の長い投資経験から解説していますが、投資の苦悩や悩みは投資家であれば共通した内容であり、当たらずも遠からずといったところではないでしょうか。

また、投資技術面では、徹底的に膨大なシミュレーションを行った結果をベースにして、できるだけ主観を交えず解説しているつもりです。

そこで、今回は投資家のジレンマと自己矛盾を軽減するために、投資技術と投資家心理の両面から解説したいと思います。私は極論ではありますが常に「投資の常識は非常識」と述べています。これらについては私自身の主観的な考えではなく、検証の結果得られた数値に基づいて客観的に解説をしているだけです。

ある検証を試みました。日経平均を日足ベースで過去1991年1月4日から2018年3月9日まで約27年間の検証です。日足ベースでローソク足の陽線と陰線の数を比較してみました。この27年間の株価変動はW型となっており、検証データとしては適しているのではないかと思います。

さて結果ですが、結果は27年間で陽線の数は3241本、陰線の数は3436本であった。陽線の比率は全体の48.53%となった。ちなみにTOPIXにおいては48.75%であり日経平均と大差はなかった。また、個別銘柄(約4000銘柄)を検証しても同様の結果となった。これは何を意味するのだろうか。

この結果の意味するところは、つまり「上げ、下げの確率は50%前後に収斂する」ということではないだろうか。これがまさしく相場の現実であり、真実ではないだろうか。

この結果から考えと、相場の勝率は50%前後であると言えないだろうか。私が常々述べている「相場の勝率は50%前後に収斂する」ということは、これらの検証を経た結果を解説しているに過ぎないのです。

もしこれらを相場の真実とすれば、実践においても勝率は50%前後であることを基本として考えなければいけないのではないだろうか。真実を受け入れることは、時としてとても辛いことではあるのだが。

もし、分析システムを採用する場合「この分析システムの勝率は50%前後ですよ」と言われれば採用する人はいないだろう。もちろん相場の真実を知らない投資家なのだろうが・・・。

反対に「この分析システムの勝率は80%以上ですよ。絶対に儲かりますよ」と聞かされれば気持ちもグラッとするだろう。しかし、私に言わせれば「勝率80%以上」などは、最適化された「捏造」と言ってもよいくらいだ。

冒頭に述べましたように「理想と現実の狭間」は、このような原因により起こるもので、理想を追い求める気持ちは分かりますが、現実に優るものはないのです。理想を追いあらゆる投資手法を探し回っても桃源郷はないのです。現実から目を背けてはいけない。

現実的には、勝率50%前後をベースに投資手法の構築を行わなければなりません。しかしながら、勝率50%前後で実践に入ると、頭では理解しつつも体感的にはかなりきつい感じがします。

実際、私自身が運用しているシステムも、その勝率は50%前後でしかないのです。そのため、損切りが続けば理屈は分かっていても落ち込みます。これがまさしく現実なのです。これが相場の世界なのです。

投資家には、さらに辛い出来事があります。それは勝率50%前後の中に「損切り」が入ってくるのです。損切りなくして利益なしです。このように相場の世界は非常に厳しい世界であることを認識してスタートしなければなりません。

そこで、素朴な疑問が湧いてきます。それは「勝率50%前後では儲けが出ないじゃないか」という疑問です。まさにその通りです。勝率50%前後では利益は出ません。

しかし、ただひとつだけ勝率50%前後でも利益を生む方法があるのです。それは損切りすることです。損失を限定することです。相場に必勝法があるとすればこれだけです。他に必勝法は絶対ありません。私はあまり断定的な解説はしませんが、これだけは間違いないところです。真実です。

あるとすれば、たまたまや偶然でしかないのです。長い間投資活動を実践すれば偶然などは一過性のものです。「昔は儲けたこともあったのに・・・」とは、この類でしかないのです。かつてカリスマ投資家と言われた人たちもこの類なのです。

現実、真実から目を背けているから投資家の苦悩は続くのです。現実、真実と向き合うのは、時として辛く痛みを伴うこともあります。しかし、拒否すればいつまでも苦悩は続きます。これが現在の投資家の現状ではないでしょうか。

現実、真実はありのまま受け入れ、苦悩から開放されるべきです。



   ≪ 少数派 ≫
2018/03/09(Fri)

2018/03/02 のコメントです。

投資家は常に不安の中にいます。下げても不安、上げても不安になるから不思議です。そのような時、投資家はどのような行動をとるのでしょうか。頭を抱えてウツ状態になっている人もいるかも知れません。あるいは、その不安を解消しようとあらゆるメディアを検索し、その情報収集に必死になっている人もいるようです。

これらは不安から生ずる当然の無意識な行動であり、メンタル面での不安を解消するのには、ある程度の効果があると思われますが、根本的な解決には至らないような気がします。

しかし、情報化社会となった現在では、それらの情報が氾濫し、その真偽のほどを確かめるのも難しいものです。これらの情報は、受け取る側の状況や心理状態によって大きく変わってしまうものです。

あまりにも大きな損失を被り、パニック状態のところに「この銘柄で一発逆転」などの記事があれば、ついつい見入ってしまうのではないでしょうか。人間は、言葉で聞くより活字になった情報を信じる傾向が強いとも言われています。

ある記事に「大きく下がれば下がるほどチャンスは大きくなるので、株式市場が大きく下がったら目をつぶって買うという投資戦略を取るのが、相場の鉄則ということになる」とあった。このようなとんでもない記事には驚いた。名前を明記して書いていただきたいものです。無責任極まりない。

不安を解消するのに情報収集をすることは良いと思いますが、その際には、情報を受け取る側が常に客観的で冷静な状態でなければ正しい判断ができないと考えます。しかし、損失が増大して「客観的で冷静な」といわれても無理な話である。冷静でない不安な状況であるから情報収集に走るわけですから、ここに矛盾が生じてくるわけです。

矛盾は悪循環を引き起こすことになります。悪循環は、投資の世界においては損失を意味することになります。

一般的に問題を解決・決断する場合には、プラスの面とマイナスの面の両方から判断しなくてはなりません。株式投資の場合は、たとえば「ここは大底だから買いに入ろう」と判断した場合、情報収集も自分にプラスの情報を意識的に見るようになってしまいます。しかし、投資にはリスクもあるわけですから、万一、反対の展開になったら「このようにしよう」という対策も同時に取っておかなければなりません。

要するに、投資家は中立的な立場から市場を判断しなくてはならないということです。さらに言えば、できるだけ少数派の意見にも耳を傾けなければなりません。特に相場の世界の情報は、市場の動向に追従し、振り回されて極論に走る傾向があるため注意しなければなりません。

私は常に相場の世界から社会を見ています。すると、一般社会にも大きな矛盾があることが良く分かります。感じることは、現在の社会は情報化社会であり、その多くはマスメディアからの情報であり、これらのマスメディアの報道の仕方によっては、善悪は別としても社会を大きく変化させてしまうことにもなります。

たとえば、現在大きな社会問題となっているのは地球温暖化の問題です。誰しも環境問題に関心があり、二酸化炭素の削減に関心を持っています。また、個々では禁煙問題などがあります。

これらの問題についても少数ながら異なる意見があることをご存知でしょうか。二酸化炭素問題では「人類排出の二酸化炭素による温室効果より、太陽活動の変化など自然由来の原因の方が大きそうだ。IPCCは、人類排出の二酸化炭素が主因だと断定しているが、これは間違った結論だ」というものである。

また、禁煙問題では「最近は禁煙ブームで喫煙率は下がっているのに、肺がんが増加しているということはどのように説明するのか。」などである。いつの時代も少数派の意見は異端扱いされています。

以上のように、今騒がれている問題に対しても異なる意見もあるわけです。我々投資家においても、マスメディアなどの情報に振り回されることなく、自分で考えて、自分で体験して、自分なりの投資スタイルで挑みたいものです。

投資で成功している人は少ないのです。成功している人が少ないということは、成功者は少数派であることになります。一般に少数派は時に非難を浴びることもありますが、少数派が常に間違いである根拠はないのです。

投資成績が芳しくないときは、苦痛であり何かに頼りたくもなるものです。このようなときほど責任を取らないマスメディアの情報などを鵜呑みにすることなく、自分の今までの投資スタイルを検証し、原点に立ち戻り考え直してみることです。マスメディアの情報は「大多数」であることを認識すべきです。

投資の世界で利益を上げ続けられるということは、翻って、大きな損を経験し、それらを苦悩の末に乗り切った先にあるものです。最初から勝ち続けるような投資家は、結局どこかでやられてしまいます。しかも最初に負けた投資家よりも大きくやられることになるのです。負けることは決して嬉しいことではありませんが、負けることも時として必要であると思います。

自分の考えで判断することは、そこに成長があるということです。



   ≪ 投資での痛手 ≫
2018/03/02(Fri)

投資で失敗するともう投資関連のニュースも聞きたくない。特に最近の仮想通貨の混乱ではかなりの痛手を負った投資家も多かったのではないでしょうか。「仕事も手につかないし、もう立ち上がる元気もないよ。もうおしまいだー・・・」と嘆いていた友人がいる。

市場が大きく変動すると投資家は大なり小なり同じような状況ではなかったのではないでしょうか。そして、市場から去っていった投資家も少なくなかったかと思います。市場から退場したものの、残ったのは大きく評価損となった塩漬け銘柄のみだったのではないだろうか。

「相場はもうこりごりだ、相場は今後二度とやらない、大失敗だった」と退場していく。退場したら証券会社や投資アドバイザーからのメールマガジンも必要ない。株式投資に関するすべてをシャットアウトしてしまう。その気持ちはよく分かります。私自身も過去にこのような状況は何度も味わってきたので心情は理解できます。

長く相場を見てきた私としては、このようなことは周期的に起こるものであり、時代が変わっても市場への入場、退場など何も変わっていないと感じています。そう言う意味では、歴史は繰り返されるということなのだろうか。

面白いことに「株は今後二度とやらない」と断言した投資家ほど、相場が上昇してくるとムラムラして「もう一回だけチャレンジしてみようか」となる。相場が上昇したところで買いに入るため、また高値掴みとなる。これも昔と変わらない。

はたして株式投資での失敗は、本当の意味での失敗なのだろうか。投資の世界では常に失敗は付きまとうし、長年投資活動をしてきても損からは逃れられない。そこで、私なりに「投資での失敗」についての考えてみた。

以前にも解説しましたが、株式投資における初心者の売買は、赤ん坊がはいはい歩きから立って歩くまでと同じではないかと考えます。赤ん坊は立ち上がって歩けるようになるまで、何度もつまづき転んで柱に頭をぶつけて大泣きしながらそれでも懸命に立ち上がろうとします。

赤ん坊がよろめいたり、つまづいたりするからといって、誰もその子をしかりつけたりはしないでしょう。その動作一つ一つが歩くことを覚えるための必要な正常な過程なのです。

もし、立ち上がって歩けるようなったことを「成功」と呼ぶならば、歩き始めの段階で転んだりすることを「失敗」と呼ぶでしょうか。転んだり、つまずいたりすることは「成功」するためのプロセスに過ぎないのではないでしょうか。

何度もつまづき転んで痛い思いしたことは、潜在意識に格納されて、大人になっても「転ぶと痛い」という意識が無意識に働き、注意して歩くようになるのです。大人になっても転ぶときはあるでしょう。しかし、大怪我をしないように手でサポートするはずです。

このようなことから、投資での失敗は投資で成功するための訓練課程であり、ある意味では成長するために必要不可欠なプロセスと捉えることはできないでしょうか。何事も一朝一夕では成し遂げられないものですから・・・。

相場格言に「もうはまだなり、まだはもうなり」という格言があります。これらとはちょっと意味合いは違うかもしれませんが「もうダメだは、まだまだである」と考えるべきです。「もうダメだ」という冷静な判断ができているうちは、まだ余裕がある証拠です。本当にダメな時は、思考能力が失われ放心状態になるはずですから・・・。

もし、被害を被った投資家であっても再度立ち上がる勇気、気力があれば今までの失敗の原因を調査したのちに果敢にチャレンジしていただきたい。長い期間投資活動を止めて、再活動をする時は、すべてゼロからのスタートとなります。ゼロからの再スタートはかなりのエネルギーを必要とします。

逃げては何も残りません。逃げてもまた元のところに戻るだけです。今逃げたら、明日はもっと大きな勇気が必要となります。何事にも逃げずに困難に立ち向かうべきです。相場は続けるものです。



   ≪ 時を待て ≫
2018/02/24(Sat)

2018/02/17 のコメントです。

最近の株式市場の下落の理由として世界の中央銀行が金融政策を引き締めるとの見方が強まりつつあることが理由の一つだと米ニューヨーク連銀のダドリー総裁が述べた。「世界経済が非常に速いペースで成長しており、その結果として世界の金融当局が緩和策を解除し始めている、もしくは緩和解除の開始を検討しているという事実に市場が適応しつつあるのは明らかだ」と指摘した。よって、債券利回りは上昇し、そして利回り上昇に伴い株式市場への圧力が若干強まってきていると加えた。

株式市場の下落の指摘には非常に妥当な解説のように見受けられる。実際にその通りだろう。だが、なぜそれが今なのかを説明できる人はいない。仮想通貨の下落が要因であると言う人もいるが、実際のところは誰も分からない。

「良く当たる言われるエコノミスト」「大儲けしたと言われる投資家」「大儲け必勝法」などには多くのファン(信者)が集まる。ところが、これらを統計的な手法で検証すると、過去においてパフォーマンスが良かったものの、次の期間も続けてパフォーマンスが良いという検証データはない。これらはほとんど偶然に過ぎない。

市場変動はファンダメンタルズにあると言われているが、理論的にはその通りであろう。しかし、我々の扱う短期売買ではその理論も薄れてくる。短期売買での分析では需給関係や投資家の心理状態が大きく作用してくるのです。

株式市場は、短期的には市場参加者の楽観度合いと悲観度合いの変化を心理的に表したものであり、投資に心理的要素を無視する投資家は、最終的に敗者になってしまうだろう。

株式投資には「絶対」ということは無く、常に試行錯誤の中で売買を行なっている。不安の中での売買は、雑多な情報に振り回されることも多い。投資の世界は、孤独なビジネスの世界であり、何かを心のよりどころにしたくもなるものです。

投資の世界では、市場の分析以前に投資家自身の分析を行わなければいけない。知識や経験の度合いを理解しておかなければならない。また、間違いを犯すことことを恐れず、その間違いの原因を追究し理解することに意義がある。株式投資は、この間違いの是正の積み上げにより上達するのだが・・・。

結果的にはその通りだろうが、欲の絡んだ世界で孤独な売買を続けていると、知らないうちに考え方が曲がってしまう。人間である以上、失敗は繰り返される。悲しいかな、これは私自身にも言える。同じような失敗を何度も繰り返す。

私はこのような時に思い出す言葉がある。「負けの原因の多くは自滅である」。実際にはその通りであろう。特に相場においては・・・。誰しも理屈は分かっているができないのも人間の本性でもある。

また、「成功者とは多くの失敗を繰り返した者である。ただ、それをあきらめなかった者である。」とも言われている。しかし、理屈は分かっているが実践できない。投資を行う者は、常にこのようなジレンマに陥る。

このような場合、投資家はどのような対応をすべきだろうか。そのような時は、少し現場から離れて、それらに関係のないところに身をおくべきだろう。負け続ければ平常心も失うだろうから、少し冷却期間を置いて平常心を取り戻そうというものです。

私の語録に「時に、何もしないという選択肢もある。無理にあせって答えを出すことはない。時間を与えよ。」「悩んで、焦って結論を出すな。時が正しい答えを出す。焦れば必ず判断を間違える。時を待て。」とある。

また、物事がうまくいかないときには「失敗とは、あなたの行く道は、そちらではありませんよという暗示である。」と受け止めるているが、人間とは愚かなもので、長い人生を歩んできても同じ間違いを何度でも犯すもの。

今回の相場下落で頭を痛めている投資家もいることでしょう。そのような投資家に送る言葉。「人生とはぶっつけ本番、失敗するのは当たり前、くよくよせず立ち上がろう。」

自戒の念を込めて。



   ≪ インタビューを受けて ≫
2018/02/17(Sat)

2018/02/10 のコメントです。

先日、私が林投資研究所の林知之氏(林輝太郎氏のご子息)のインタビューに答えた記事が書籍として出版されました。タイトルは「億トレV」でマイルストーン社、定価(本体2500円+税)。個人トレーダー10名の共著ですが、私の経歴や現在の売買状況などが掲載されています。

その一部をご紹介します。『』内は林氏の質問および感想です。

■林氏『先日、拝見した先物のシステムも、同じような緻密なポジションの取り方でしたね?』

株価指数の先物をトレードする場合、指数そのものの動きを見るのではなく、その指数を構成する個別銘柄すべての動きをチェックする必要がある、というのが私の考え方です。ロジックそのものは単純でいいのですが、ポジション操作を丁寧にすることが重要だと考えています。」


■林氏『するとポジションが0〜100の間で非常に細かく動くと言うことですね』

どちらかがゼロになることはありませんが、売り買いの一方が90を超えるケースはあります。たとえばリーマンショックの時は売りが極端に多くなり、結果として大きくとることができました。多くの人は「損切り」とか「利食い」という観点を意識しすぎるかもしれませんね。「値動きに応じたポジション操作があるだけ」という考え方でいいのではないでしょうか。でも私のシステムは順張りなので、保合の相場に弱いのが欠点です。


■林氏『常に順張りですか?』

はい、そうです。手仕舞いとかドテンを前提にシステムで臨むと、必然的に順張りになると考えています。


■林氏『それには同意します。売り値が買い値より高くなければ利益になりませんが、「安く買って高く売る」では正しいポジションの取り方に結びつかないと思います。強い銘柄を、高くてもいいから買い、さらに高値で売る、ということですよね?』

それでは、まだ、弱いと思いますね。高く買って、さらに高値で買い乗せるんですよ。価格の推移とポジションの増加を、単純に図式で考えて見ましょう。「100円ごとに買い下がる」ルールだと、下がっていく中でポジションが膨らんでいき、どの時点でも評価損です。しかし「100円ごとに買い上がる」ルールならば、上がっていく相場に対してポジションを増やしながらも、評価益の状態が維持されます。私は、こういう考え方を基礎にして、現実の安全性を盛り込んだポジションの取り方を規定しているのです。狙い所にもよるのかもしれませんが、株の場合はこ
の考え方で正しいと思っています。評価損は多大なストレスを生みますが、評価益はハッピーな気分にしてくれますしね。


■林氏『なるほど、とても納得できますね。予測の的中率に限界がある以上、メンタル面は非常に重要です。』

私が「相場に向いていない」と感じるのは、感情をコントロールする能力が足りないという意味です。トレードのキモは、先見の明や分析力ではないし、情報収集力でもありません。ちまたの使いものにならないような指標は論外として、テクニカル分野においても、自分の感情をどうコントロールするかがカギになります。「トレードは、歓喜と絶望とストレス」という説明がありますが、まったくその通りだと思いますね。


■林氏『システムは、ストレスを軽減してくれますか?』

もちろんです。ストレスの問題を解決できず、トレードをやめようと何度も考えたのですが、「これしかない」という気持ちを続けながら、パソコンを使ってトレードシステムを確立することがストレスの軽減につながると気づいたのです。


■林氏のまとめ
『照沼氏は、最初から純粋な個人トレーダーとして研究を重ねてきたうえに、トレードシステム構築のために理論立てて考えてきた経験があるから、借りものではない言葉を発する、重みのある言葉で話す、というのが私の印象だ。やさしく穏やかな表情の中心にある2つの目には、嫌みのない輝きがある。比較するのも失礼だが、中途半端に金融の現場を経験した者たちの警戒心あふれる目つきとはまったく違う。このように立場や経験の異なる実践家との相場談義は、自分のことを再確認する最高の機会である。そして、照沼氏は、これからも長くおつき合いしたいと心から思える、魅力的な人物だ。』



   ≪ 収益の源泉 ≫
2018/02/10(Sat)

2018/02/03 のコメントです。

仮想通貨取引のコインチェック社で、顧客の預かり資産を引き出されるというニュースがあった。投資の世界では何があってもおかしくない。いつしか自分を見失い、暴走し破綻してしまうことのないようにしたいものです。特に需給関係のみで変動する理論のない取引には要注意です。

しかし、理論があるからと言って儲かるものでもありませんが「原因なくして結果なし」です。私たちの立場から考える投資(特に株式投資)とは、実体経済の二次的な要素であり、理論的には、その収益を実体経済以上に求めることはできないということです。理にかなわないものは、いずれ崩壊してしまうということになります。

一般に、株式投資は、今後成長が有望視される企業に株主として参加するわけです。投資した企業の利益の中から配当などを得て、さらにはキャピタルゲインによる収益の可能性が発生してきます。これらを含めて投資家の収益となるわけです。

反論もあると思いますが、私は「長期的な視点から捉えた場合、株式投資における投資利回りは、投資した企業の利益率を上回ることはない」と考えています。もちろん、一時的にキャピタルゲインなどで、投資した企業の利益率を上回ることもあると思いますが、長期的に見れば、それらを上回ることはないと考えています。

ですから、株式投資を長期的な視点で考えれば、企業の利益率より大きく上回り何倍もの収益を上げることはできない。なぜなら、投資投資は、実体経済である企業収益が主であり、我々投資家は従の関係にあり、投資家の収益の源泉は企業収益からとなるからです。長期的視点では、主従関係が逆転することはないと考えます。

このように、長期の視点で判断すれば、一時的な大儲けは間違い(偶然)であると言えるのではないでしょうか。このような考えに基づけば、一時的に大儲けした手法で継続運用すれば、その手法は間違(偶然)っているわけですから、いずれ同等、あるいはそれ以上のマイナスをもたらす結果になります。この点を十分理解してください。

欲張って、企業業績を上回る利益率を求めるため、大きなレバレッジをかけて収益を上げようと試みるも、最終的には、金融危機のように「信用バブル」を引き起こす結果になりかねません。注意が必要です。

以上のように、本来あるべき投資収益は投資家が思っているより大きくはないことを自覚しておかなければなりません。誰でも大儲けしたいと思うのはやまやまですが、たとえ大儲けできたとしても、それは偶然であり、その思考や手法が間違っていたと割り切って考えるべきです。

投資を客観的に、しかも冷静に考えればその通りなのですが、つい利益追求のみに走りそこに何かを忘れているような気もします。投資家の収益の源泉は何であるかを忘れてはなりません。



   ≪ 信用バブル ≫
2018/02/02(Fri)

2018/01/27 のコメントです。

アメリカの株価は2008年のリーマンショック以降、金融緩和もあって回復を続け、最高値を連日更新しています。各方面から「もうバブルではないのか」「いやまだまだだ」などの声が聞こえてきます。相場格言に「もうはまだなり、まだはもうなり」とありますが、どうなりますか・・・。いずれにしても、常に危機管理対策は講じておかなければなりません。

さて、金融危機の要因である「信用バブル」とはどのようなものなのか。それは、「お金を借りて、それを元手にお金儲けをしよう」という文化が行き過ぎた結果と考えればよいでしょう。

日本のバブル崩壊も金融バブルから不動産バブルとなり崩壊しています。不動産が上昇している間は借金して購入しても利益になります。当時の日本は一億総不動産屋といわれた時代でした。

要するに「レバレッジ」の大衆化です。レバレッジの大衆化は、まずリーマンのような「投資銀行」というビジネスが先鞭をつけ、続いて「ヘッジ・ファンド」の大衆化、そして「投資目的の不動産購入」の大衆化、さらにFX(為替証拠金取引)のような「レバレッジをかけた投資」の大衆化ではなかっただろうか。

このように、本来かなりリスクのある投資を、普通の人が普通に誰でもやれるようになったことが「信用バブル」と定義付けられると思います。翻れば、これは「普通の人の危険なビジネスに金融機関が加担してお金を貸すようになった」ということでもあります。

このような「信用バブル」の文化の行き過ぎが行くところまで行った結果が、リーマ・ブラザースのような投資銀行が、この大衆化の過程でお金をどんどん出していった結果です。

サブ・プライムローンは「普通の人が不動産投資をするような時代となり、貧しい人々でも高金利で家が買えるようにするのが良い」という誤解された「文化」の生み出した商品のひとつに過ぎません。

ただ、これは金融だけの問題ではありません。世界中であらゆる方面にゆがみやひずみが噴出しています。産業資本主義と金融資本主義の間のひずみ、グローバルに活動する企業と政府の間のひずみ、先進国と新興国や資源国のひずみ。これらの問題が引き金となって引き起こされます。今後、世界はこれらのさまざまな問題に対処しなくてはならなくなります。

このようにグローバル化された米国流の行き過ぎた金融資本主義は、本来の人間社会の秩序を乱し、そして限界を示し、もはや続かないと考えたトランプ大統領は「アメリカ・ファースト」を掲げ、国内回帰を宣言しています。

我々投資家は、リスクを承知で投資活動を行っています。投資も撤退も自由です。しかし、企業における人材は、投資家の立場とは異なり、企業にすべての生活がかかっています。祭りの神輿も担ぎ手がなければ動くこともできません。

人口や企業が生み出す富など実物経済に限りがある以上、金融ビジネスにも限界があります。株式投資において、配当以上の収益にはリスクが存在することを絶対に忘れてはいけません。

我々投資家も秩序ある投資スタンスで活動していきたいものです。



   ≪ ブームはバブル ≫
2018/01/27(Sat)

2018/01/20 のコメントです。

最近は仮想通貨(ビットコインなど)が話題になっています。テレビのCMなども始まっています。相場の世界には「投資経験のない人まで投資を始めたところが天井である」という話もある。

仮想通貨とは『特定の国家による価値の保証のない通貨であり、おもにインターネット上で「お金」のようにやりとりされ、専門取引所などで円、ドル、ユーロ、人民元などの法定通貨と交換することで入手でき、一部の商品やサービスの決済に利用できる。紙幣や硬貨のような目に見える形では存在せず、電子データとして存在し、不正防止のために暗号技術を用い、ネット上の複数コンピュータで記録を共有・相互監視するブロックチェーンで管理されている。このため仮想通貨は「デジタル通貨」「暗号通貨」と呼ばれる。』とある。

つまり、仮想通貨は「価値の保証のない通貨」である。しかし、一般的な投資対象(株や為替など)も価格の保証はない。では、仮想通貨と株式投資はどこが違うのだろうか。仮想通貨も需給関係で変動するが、需給関係が発生する要因は何であろうか。

仮想通貨は、海外などへの送金や決済時の手数料が安くすむほか、送金・決済時間を大幅に短縮できるなどのメリットはあるが、一方、法律に基づく監視の目が届きにくいため、違法取引、脱税、資金洗浄(マネー・ロンダリング)に利用されやすくなる。このように仮想通貨は、まだ熟成されていない発展途上のシステムのようにも見える。

これらの問題について、ある経済評論家と話をした。彼は「仮想通貨は利用者の信用のみに基づいているので、まったく価値がなくなるリスクもある」と言っていた。やはり投資の最終的なよりどころは、株式投資だろうとも言っていた。

仮想通貨のチャートを見ると、中国の株価が天井を打った2015年のチャートのようにも見える。中国の株価は当局の統制が入り、3000ポイント台をキープしているようだが・・・。

話題は少し変わりますが、仮想通貨のような指数をそのままテクニカル分析で判断するのは非常に危険です。大体は失敗するだろう。日経平均やTOPIXなどの指数のみで分析することも危険です。つまり、ひとつの時系列データのみを分析してそ
れらを売買に利用することは、そこに理論的根拠がないような気がします。

そこで私に質問があった「あなたは先物の売買をしているようだが、先物も指数であり、ひとつの時系列データのみで分析して売買しているのでは」と。そこで私は、「ひとつの時系列データのみ分析しているのではありません」と答えた。

その理由として、私の先物売買は先物の時系列データのみで分析しているのではなく、先物を構成している銘柄、たとえば日経平均先物であれば、これらを構成している225銘柄を分析し、または、TOPIX先物であれば、これらを構成している2、000銘柄を個々に分析し、それらを集計して、その結果により売買の判定を下しているのです。決して、時系列データのみで分析して売買しているのではありません。売買は先物であるものの、売買は個別銘柄の売買のようなものです。

「根拠の軽薄なものに対しては、結果はさらに軽薄なものとなる」と言うことです。系列データのみで分析では、その根拠が軽薄なものとなります。ですから、私は為替取引や仮想通貨取引はやらないのです。

ある投資家が言っていました。株式投資で投資金が半分になり、資金か少なくなってしまったので為替の取引をして資金はさらに半分となった。資金がなくなり仮想通貨取引を始めたもののタイミングが悪く、暴落に巻き込まれ投資資金はパーになってしまったとぼやいていた。

常識的なことですが、ブームだからといってあまり分からないものには手を出さないことです。楽して儲かることはないのです。「ブームはバブル」なのですから。



   ≪ 大いなる旅路 ≫
2018/01/19(Fri)

2018/01/14 のコメントです。

投資家は投資家自身の性格や資金量によって投資手法を構築しなければならないことすでに述べています。投資手法構築に当たっては「相場には何があるか分からない」ことを前提に売買システムを構築しなければなりません。

投資に対する考え方や投資手法は、投資家それぞれに考え方もあると思います。裁量的な売買が得意であればそれでよし。逆張りが得意であればそれでよし。私はシステムトレードであり、また順張り手法を採用しています。これは私の性格に合っているからであり、これがベストであるというわけではありません。

私も当初は裁量的トレードでしたが、気の小さい私は、そのつどの判断に苦慮し迷い、相当のストレスを受けていました。ストレスが大きくなれば平常心は保てず、結局は判断を間違えるという結果になりました。

そして、長い道のりを経て最終的にシステムトレードにたどり着いたわけです。多くのシステムトレードのシミュレーションを行うに当たって、逆張りではシステムが構築できないという結論に達し、最終的に順張りを選択したわけです。

実際にシステムトレードで順張りを行うと、裁量トレードではできない無理な場面にも遭遇します。たとえば、買いから入って順調に上昇となったものの、さらにそこから急騰し、日経平均で1000円も上昇するものなら、所定の買い付け枠を全部買いというサインを出してくるのです。

一般的には1000円も上昇すれば利食いするところでしょうが、順張りでは1000円上昇の後にさらに買い付けすることもあるのです。通常の裁量トレードでは、そこからの買い付けは困難なものかと思います。

つまり、システムトレードの順張りでは、通常は行わないような売買も発生するのです。そのシステムによほどの信頼がなければ実行できないことです。

投資の世界では多くの投資家が負けているという現実があります。この現実は統計上からも否定できないところです。負けの現実の中には、投資の知識も乏しく、資金に任せて売買している投資家もいるでしょう。多少知識があっても追い詰められた状態で大きく損を出してしまう投資家もいるでしょう。

要は多くの投資家が負けているという現実です。それは以前にも解説しましたように「儲けたい、損をしたくない」という感情からくるもので、このような感情で売買すると長い間には全員負けるという結果になるのです。

これらを突き詰めていくと、感情的な売買では儲からないという結論になるのではないでしょうか。これは決して裁量トレードを否定するわけではありませんが、投資では、相場展開しだいでは投資家の感情が揺れ動くこともまた現実です。

感情が揺さぶられれば疲れます。疲れていては良い仕事ができないのも明らかでしょう。そこで「強固な精神力を鍛えて」と言っても、投資とは長い期間続けるものです。はたして人間は長い間緊張状態を保つことができるでしょうか。

このような状況から投資家は投資手法を常に模索し続けているのです。現在の私も、もっと良い方法があるのではないかと模索中です。もうちょっとアイデアのほしいところです。

投資に完璧はないのですから、裁量トレードでもトステムトレードでも良いのです。たとえば、売買の大枠はシステムトレードで、細かな売買は裁量トレードでといった方法もあるのです。

多くの投資家は常に自分に最適な売買法をあれやこれやと模索しながらトレードしていると言っても過言ではありません。投資とは模索の大いなる旅路なのです。



   ≪ 大願成就 ≫
2018/01/13(Sat)

2018/01/07 のコメントです。

あけましておめでとうございます。

さて、2018年大発会の株式市場(日経平均株価)は続伸しました。1992年1月6日以来、連日で約26年ぶりの高値を付けた。米国や中国の製造業関連統計が良好な内容となり、世界景気の先行きに楽観的な見方が広がったためと見られますが、多分にご祝儀相場的なところもあるだろう。

市場は高値をつけて投資家の多くはお年玉をもらったような気分ではないだろうか。年初から良い年になりそうだと考えている投資家も多いだろう。しかし、私は年初からロスカットに引っかかり、損切りとなって暗い気持ちで正月を過ごした。

日本では、年の初めは神社などにお参りして、お願い事をするのが一般的でしょう。願い事もそれぞれであると思いますが「今年は大儲けできますように」とお願いした投資家もいたのではないだろうか。

日本の文化として神社でお願い事をしたりお守りを買ったりします。しかし、大願成就もよいが、何も努力せずお願いだけで願いがかなうものでしょうか。やはりそれなりの努力や精進が必要となってくるでしょう。

投資家も今年の一年をどのような年にしたいか、それなりの願望や目標を立てて活動します。相場で儲けたい気持ちは誰でも同じですが、そのために今年は年間を通して、これだけは確実に実行しようという目標を立ててはいかがでしょうか。

簡単なものであれば「損切りを確実に」や「今年こそ自分の投資スタイル決定しよう」などの具体的な目標を掲げ、それを書き出してパソコンの前に貼っておくのです。

私もパソコンの前に書き出して貼ってあります。それは「何事にも落胆しない・あくまでもやり続ける・決して断念しない」と。私も時々気持ちが折れそうなときもありますが、この書き出しを見て自分を奮い立たせることがあります。シンプルな方法ですが、初心を忘れないためにも効果があるのではないでしょうか。

今年も内外的にいろいろな問題が起き、相場も大きくブレる場面もあるかもしれません。そのような場合の対策もしっかりと準備しておき、今年一年、努力を惜しまず大いにご活躍ください。

投資家の皆様にとって良い年でありますように願っております。

今年もよろしくお願いいたします。



   ≪ 儲けたい、損したくない ≫
2018/01/05(Fri)

2017/12/23 のコメントです。

年の瀬となり何かと忙しい時期になりました。投資家も今年の投資成果を振り返っていかがでしたでしょうか。おおむね後半は良い成績を収められたのではないかと思います。

投資成果が相場変動に左右されるのは仕方のないことですが、投資家は成果が上がれば、それを自分の実力と錯覚する傾向があります。注意が必要です。もちろん実力のある投資家もおりますので、そのような方はこの限りではありませんが・・・。

しかしながら、多くの個人投資家は希望する成果を得られないでいます。以前にも解説しましたが、投資を始めて5年も過ぎるとほとんどの投資家はマイナスとなっているというデータもあります。

確かに、毎年開催されるトレーダーの会合に続けて参加していると、5年も過ぎればメンバーのほとんどが入れ替わっていることが、これらを物語っているのでしょうか。

売り買いしかない二者択一の世界で、なぜ5年も過ぎると皆負けてしまうのだろうか。半分ぐらいは勝者となってもよさそうなものですが・・・。私はこれらの不思議について以前から考えていました。そして、それなりの結論を見出しています。この点を私なりに解説してみましょう。

まず、初心者に限らず投資家は誰でも「儲けたい、損したくない」という共通の意識で市場に参入してきます。ベテランになってもこの気持ちは変わらないと思います。

私は、この「儲けたい、損したくない」という意識(気持ち)が5年も経てば皆負ける原因ではないかと考えています。つまり「儲けたい、損したくない」イコール「皆負ける」という構図にはならないだろうか。不思議に思うかもしれませんが、例を挙げて解説してまいりましょう。

たとえば、ある銘柄を買い付けしたとします。その後、その銘柄は上がるか下がるかします。もし、買い付け後に下がってしまったとします。その時も「儲けたい、損したくない」という心理が働きます。「儲けたいが下がってしまった」となります。

下がってしまうと損となりますが、その損は「評価損」であり、実損ではありません。そこで、この評価損なら今後上昇となれば損は小さくなり、あわよくば利益となるかもしれないという気持ちになり、「儲けたい」という心理が働きます。投資家なら誰でも同じです。

そうして含み損を抱えながら、どうしたものかと考えます。損は損でも評価損なら耐えられると言ったところでしょうか。そして、塩漬けに・・・。

では、上がった場合はどのような心理状態になり、どのような対処をするのでしょうか。上がれば利益にもなり「儲けたい」という気持ちがどんどん膨らんでいきます。しかし、持ち株が上昇するも何となく不安がよぎってきます。

もし、ここが天井で下げに入ったらどうしようと不安になります。実際に高値から下げたとします。すると投資家は、まず「あの高値で売っとけばなあ」と思います。そして、下げが始まると、高値時の評価と現在の評価を比べて「損をした」と感じます。まだ、評価益があるのにもかかわらず、高値時と比較し損をしたと捉えてしまうのです。ここでも「損をしたくない」という心理が働くのです。

つまり、下がって損におびえ、上がっても損におびえる状況になります。この状態を実際の売買に置き換えてみると、下げられれば「損をしたくない」という心理から実損を嫌い持続することになる。上がれば、儲けたいのはやまやまだが高値覚えで、多少の押しで高値時の価格より損をしたくないので早めに利食いしてしまう。

これでは結果的に「損大利小」となり、これを繰り返して5年も過ぎれば全員が損をしてしまうことになる。何をか言わんやである。このように投資家心理をそのまま売買に繋げるような裁量トレードでは、投資家全員が負ける結果になるのです。

これらは私自身にも共通するものです。であるから、私は裁量トレードをやめて、システムトレードで売買するようになったのです。



   ≪ 私の心の拠り所 ≫
2017/12/29(Fri)

2017/12/16 のコメントです。

私は常々、投資手法は投資家に合った手法であればよいと述べています。さらに言わせていただければ、投資手法は投資家に合った手法でなければならないと考えています。

なぜなら、投資とは継続して売買を続けるものであり、自分に合わない手法であれば、それがストレスやプレッシャーとなり継続が困難となる可能性が高くなります。それでなくても投資は心労が絶えないのに・・・。

投資手法はどれが正しいというものはありません。投資の基本セオリーを守っていればそれで良いと思います。あれこれ理論をこねくり回しても勝てなければ意味を成しませんし、あまり理論は分からなくても動物的な勘が鋭く儲けている投資家もいるようですし・・・。

投資の世界は「勝てば官軍」的なところもありますが、しかし、一番大事なことは、継続していかに勝ち続けるかにあります。追い風もいつかは逆風になるし、ビギナーズ・ラックもあります。要は、相場動向に大きく左右されず堅実に利益を積み上げていく手法がベストではないでしょうか。

さて前回、投資家の揺れ動く心理について解説いたしましたが、多くの反響がありました。私を含め投資家は皆同じような心理状態になるのだなあと感じました。

ところで、私の売買テクニックについて解説してほしいとの要望がありましたので、少しお話してみましょう。前述のように投資手法は、それぞれの投資家に合った手法であれば良いのであって、私の手法も数多い手法の中のひとつと捉えてください。

私は先物市場で売買しています。まず最初に自己資金に合わせて最大投資金額を設定します。たとえば最大売買枚数を100枚などとします。私はシステム売買ですからシステムからのシグナルの指示によって売買注文を出します。

たとえば、少し相場が上昇気味の場合などは「新規買い20枚」のように指示が出ます。この指示に従って、翌日の寄り付き成り行きで発注します。さらに相場上昇となると「買い30枚追加」となり、建玉は合計で50枚となります。さらに相場上昇となれば追加買いの指示がでます。一発で90枚などと指示が出る場合もあります。もちろん「売り建玉」の指示も出ます。

この一連の売買を見ればいとも簡単なように見えますが、実戦ではハラハラドキドキとなるはずです。なぜなら、仕掛け後に上昇となって利食いしたいところに、さらに「買い乗せ」しているのです。

これらの売買を裁量的な判断で行うとすると「含み益があるので減らないうちに半分だけでも利食いしておこう」と。また「ここはひとまず利食いしておいて、下げたら再度仕掛けよう」などの心理が働きます。誰でも考えるような心理状態です。

しかし、私のシステムは、その心理を逆なでするように、相場が上がれば上がるほど買い増ししていくシステムなのです。実に恐ろしい(心理的に)システムなのです。これを裁量的トレードで行えば胸がはちきれそうになるでしょう。私自身も裁量トレードでは無理です。

なぜそのような売買法になったかと言いますと、第一にシュミレーションの結果が良かったことにあります。結果が良かったとは言え、実際にこれで売買ができるものかと不安があったことは確かです。

そこで冷静になって考えました。多くの個人投資家は結果的に裁量的な売買が多いのではないか。その個人投資家の投資家心理はいつも変わらず、上がれば利食い、下げれば持続となってしまう。多くの投資家は「誰でも考えるような心理状態」での行動となってしまいます。

統計によると、5年以上継続して投資活動を行った結果、収益を上げられたのは総投資家の1%に満たないと発表されている。これはどうしたことか。感情の赴くままに売買すると皆負けてしまうと言うことなのか。

これらを踏まえて、シミュレーションの結果と売買手法が一般的な裁量トレードの逆の売買手法となっていることに採用の決断が付いたわけです。しかし、実戦に入ると「えっ、こんなところで反対売買かよ」「仕掛け枚数が多すぎるんじゃないの」など、心理と大きくかけ離れた場面に遭遇します。

しかし、それであっても一度たりともシステムの指示に違反して売買したことはありません。もちろんシステム売買であっても損の続くこともあります。そこは踏ん張りどころです。自分の作ったシステムを信じるしかないのです。

私の心の拠り所は、私自身の裁量的トレードより、たとえ損となってもシステムトレードのほうが「上」であると固く信じているところにあります。

以上、私の売買手法を説明しましたが「これがベストのようだから真似しよう」などとは考えないでください。何度も繰り返しますが、投資手法にこれが最高などというものはなく、投資家自身に合った手法で行うべきであることをお断りしておきます。



   ≪ 自問自答 ≫
2017/12/23(Sat)

2017/12/09 のコメントです。

まず投資を始めると期待感と不安で気分は高揚する。仕掛け後に株価は上下に不安定に変動する。その変動に比例するかのように気分も上下する。

仕掛け後(買い仕掛けとする)に下げたとする。下げの初期段階では相場とはこんなものだと自分に言い聞かせる。さらに下げると不安がよぎり、仕掛けは間違いだったのかと自問自答する。しかし、その後相場が切り返すと、やっぱり、自分は正しかったなどと思いにふける。

その後、相場がもちあいとなり気分も強気、弱気と微妙にぶれてくる。相場もちあい後に急落。急落の原因は何かと調べまわる。その原因が分かると、急落で損をしているにもかかわらず妙に納得する。急落は自分の問題ではなく他の原因であるなどと自分に言い聞かせて自分を納得させる。

しかし、その後じり安となり漠然とした不安でもんもんとする。ナンピンを入れるのはまだ早いのではないかなどと考えたり、損切りという言葉がチラリと浮かぶ。その後さらに急落。当初決めておいたナンピン水準をはるかに超えての下落である。

「こんなはずでは・・・」とパニックになる。そして正常な思考と平常心は飛んでしまう。パソコンを立ち上げ相場を見るのが怖い。恐る恐るマウスをクリックするとさらに下げている。思考停止となる。

しばらく相場を見ることなく時間が経過し、少し平常心を取り戻す。「やっぱり損切りすべきだったな。あそこで損切しておけば損は半分で済んだのに・・・」。後悔しきり。持ち株はそのまま放置してある。結果的に損失は大きくなる。

ある時、テレビのニュースで相場が急騰しているとの報道があった。急いでパソコンを覗くと以前の損切り水準まで戻っている。これはしめたと思い、持ち株の持続を決める。損切り水準まで戻ったのに・・・。

その後は毎日パソコンを覗いて「上がれ、上がれ」と叫ぶ。世の中そんなに甘くない。相場トレンドは下降であり、その後、さらに前回の安値を割った。

もし、仕掛け後に運よく上昇となったとする。「見込みどおりだ。俺の読みは正しい」などと気分も爽快。パソンコを覗くのが楽しみだ。朝の寄付きが待ち遠しい。そして相場はさらに上昇、ハッピーだ。

相場はその後もじり高となり気分が良いはずだか、少し不安がよぎってきた。この不安は何だろう。儲かっているのに・・・。相場がさらに上昇となると喜びより不安がいっぱいになってきた。

「もし、ここから下げたら儲けが少なくなってしまう」と漠然とした不安が漂う。不思議と最大利益時の記憶は鮮明に覚えている。その後は、その最大利益時が基準になって損益を計算することになる。相場が少しでも下げると「あの時売っておけばこれだけ儲かっていたのに・・・」と。最大利益時の基準がいつまでも忘れられない。今度、最大利益時の水準になったら決済しようと考える。戻るはずはないのに・・・。

含み益が増大してから「もし下がったら」という不安は、仕掛け後に下げて損となっているときより不安が大きいと言う。不思議だ。つまり、損をしているときより儲かっているときの方が不安が大きい。損失に対しては免疫があり、利益に対しては免疫がないからなのだろうか。

相場が下がり、含み益が少なくなってしまうという不安は、投資家を早めの利益確定に走らせる。結果的に利益が小さくなる。これでは相場で利益を積み上げるには程遠い。実は、これは私自身の体験でもあるのです。

以上のように、投資家は常に心の葛藤の連続である。疲れてしまいストレスが蓄積される。そして自問自答の連続である。ストレスが蓄積され心が常に不安定な状態では相場で儲かるはずはない。投資家はこれらについて考えてみる必要があります。

「己のほかに敵はなし。向かう敵は自分だけ」



   ≪ 損を受け入れる ≫
2017/12/15(Fri)

2017/12/02 のコメントです。

投資家は誰でも自分に合った投資手法を探し出そうと必死です。それがテクニカルであれファンダメンタルズであれ、投資家の資金量や投資家の性格に合った投資手法で売買すればよいわけです。

ただ、ここで注意しなければいけないことは「相場には何があるか分からない」ということを前提に売買システムを構築しなければなりません。暴落が起こらないという保証は何もない。投資手法はこれらを考慮して構築すべきです。

万が一、暴落などに巻き込まれると、投資理論や分析手法など一切機能しなくなります。投資家もパニックになり、何をしているのか自分でも分からなくなります。時間が経過して、あの時、何を考えていたんだろうと思い返しても思い出せない。

このような経験はなかったでしょうか。投資経験が浅い投資家はあまりピンとこないかもしれませんが、投資とは継続していくものであり、長い投資期間の間には考えもしなかったような相場展開が一度や二度は必ずあります。投資市場は甘くはないのです。

ある退職者が私のところに来て「今まで投資経験がないが、退職金で少し株式投資をしたいんだが・・・」と言う。私は何を勘違いしているのだろうかと思った。投資市場を甘く見すぎているようだ。

人は「投資家は楽して儲けている」などと批判的に言う。とんでもない話だ。現在投資活動を実践している投資家には理解していただけると思いますが、私から言わせて頂ければ、投資の世界は一般社会で働いているより何十倍も厳しい世界なのに。

私は今まで「投資を始めたいんだが」という人に投資を勧めたことはない。特に年配者に対しては「老後を楽しく過ごしたいなら絶対に投資の世界に入ってはならぬ」と言っている。

会社勤めなら人一倍頑張れば給料も上がるだろう。少し休んでも給料は下がらないだろう。しかし、相場の世界はそうはいかない。どれだけ頑張っても損は出る。何の保証もない。

投資経験の浅い投資家は損が許せない。自分の決断において実践した投資で損失を被ることは自己否定のように感じる。そして葛藤が始まる。投資の世界は平常心で対処しなければならない。それでも損は出る。ましてや損失が積み上がってパニックになっては勝てるわけはない。

一般社会では「損」という概念は少ない。買い物で「慌てて買って損をした。もう少し待てば安く買えたのに」、ぐらいはあるかもしれないが、相場の世界とは大違い。相場の世界では持ち出しの実損となる。

一般社会では「持ち出しの実損」というケースはめったにないだろう。と言うことは、実損の体験がないということになる。そのような人が投資市場に参入して、はじめて持ち出しの実損となれば、経験がないのでパニックになるだろう。

特に、主観的や感情的な売買では精神的ショックも大きいだろう。投資で損が出ることは頭では理解しているだろうが、実際に損を体験すると投資家の潜在的な性格が表に出てくる。そして、自分でも気づかなかったような自分自身の性格を知ることになる。

このように相場の世界は一般社会では経験しないようなことが起こる。投資では損は必ず付きまといます。そのためにも「損を受け入れる」という気持ちをあらかじめ理解しておかなければなりません。その心の準備が投資家の必須のアイテムになります。

余計な苦言を呈したようですが、私自身の反省とともに相場の本質(損)をしっかりと見つめて投資の原点に立ち返り、一年を締めくくりましょう。



   ≪ 技(わざ) ≫
2017/12/08(Fri)

2017/11/25 のコメントです。

ある動画をみた。それは格闘技であった。最近の格闘技は激しく、立ち技、寝技の何でもありの総合格闘技だ。金網デスマッチもあり、まるで闘鶏や闘犬、闘牛を見ているようでもある。一部には熱狂的なファンがいるようだ。

人間はより豊かになると、より刺激的なものを求めるという。昔にさかのぼるが、ローマ帝国の多くの都市にはアンフィテアトルム(円形闘技場)が存在しており、そこで剣闘士同士、あるいは剣闘士と猛獣などとの戦いが繰り広げられたとある。

なんとなく、現在の総合格闘技とローマ帝国時代の剣闘士同士の戦いが似ていると感じるのは私だけだろうか。このように格闘技をみても、その時代、時代の世相を表しているような気がする。考えさせられます。

日本の古来からの武道は、柔道や剣道、また空手などが代表されるであろう。これらはいずれも戦いから発生したものであり実践的である。これに対して「合気道」という武道がある。この合気道は攻撃ではなく、防御に徹した技である。つまり、護身術でもある。また、合気道は他人と優劣を競うことをしないため、試合や競技を行いません。

上記の総合格闘家の身体は筋骨隆々でとても強そうに見えます。一方、合気道の開祖、植芝盛平(うえしば もりへい、1883年〜1969年)は、身長156pながら大相撲力士を投げ飛ばすなど幾つもの武勇伝で知られ、また老境に至っても多くの神技を示し不世出の達人と謳われました。つまり、「柔よく剛を制す」と言ったところでしょうか。

アメリカのアクション俳優のスティーブン・セガールも17歳で来日して英語を教えながら、禅や合気会で合気道を学んでいる。

投資の世界では、我々個人投資家は、投資の世界から見れば小さく無力な存在でしかありません。大きな波がくれば、ひとたまりもなく飲み込まれてしまいます。

そのような小さな無力でしかない存在の個人投資家が、相場という荒波を乗り越えて生き抜くにはどのようにすればよいのだろうか。投資資金だって投資知識だって大手の機関投資家には劣っていることは明白の事実です。

我々は相場の世界の中で、身体的な面からみれば、上記の植芝盛平氏のようなものでしょう。その弟子、塩田剛氏も身長154cm、体重46kgと非常に小柄な体格であった。しかしながら、植芝盛平氏をはじめ塩田剛氏は武道家として世界中に知られており、各国で多くの合気道の道場を開いています。

武道家は身体的に強固でタフでなければいけない。これが一般的な認識であろう。しかし、植芝盛平氏や塩田剛氏は当時の日本人の平均的な体形ではなかったろうか。どこにでもいるおじいさんのようであった。

筋肉隆々の格闘家は投資の世界で言うならば機関投資家やファンドと言ったところでしょうか。一方、体の小さい、一見ひ弱そうな武道家は、我々個人投資家に当たるのだろうか。しかし、一見ひ弱そうな武道家が大相撲力士を投げ飛ばすところに何があるのだろうか。

それは「技」以外にはないだろう。技を磨くことによって、小さいからだの武道家が大男を投げ飛ばすことができるのです。

投資の世界には初心投資家から巨大な機関投資家が同じ土俵で戦います。不公平のように思われますが、これが投資の世界なのです。弱肉強食のような世界でもあるのですが・・・。

我々投資家には戦う相手は見えない。見えない巨大な敵に向かっていくためには、それらに優る武器や技や知恵が必要です。その中でも磨かれた技は、武器や知恵の集大成であり、あらゆる敵に対峙できます。

投資家の皆さんも、巨大な見えない敵と戦うには、やはり自分なりの技(ノウハウ)をしっかり身に着けることが必要です。技こそ力なりなのです。「発明や発見は一人の個人から生まれる」と言われています。個人を侮るなかれです。

個人投資家でも「技」があれば巨大な敵にも対等に戦うことができるはずです。よって、技を磨くことが勝利への近道と言えるのです。頑張りましょう。



   ≪ 過去・現在・未来 ≫
2017/12/01(Fri)

2017/11/18 のコメントです。

株式市場はここのところの上昇から少し小休止状態のようです。これは、これまでの急激過ぎる値上がりへの自然な反応とも考えられるが、ヘッジファンドが関わっているという説もある。

今回の上昇は9月初旬から押し目らしい押し目もなく上昇した。それ以前は小さな往来相場が続いており、利鞘が発生しない投資家泣かせの相場展開であった。往来相場での売買は、押し目買いの吹き値売りで対応できるが、一旦トレンドが発生すると押し目らしい押し目がないため、仕掛けのチャンスがない。

よく昔から言われる相場格言に「押し目待ちに押し目なし」とあるが、今回の上昇もこれに当たるのではないだろうか。ところが、やっと待ちに待った押し目がきたので仕掛けてみると、それからズルズルと下げてしまったなどという経験はなかったでしょうか。

要するに投資は相場しだいとなるが、その相場判定が一番難しい。相場判定については、当研究所のホームページにグラフ付きで「SPS研究所の短期相場観測指数(毎日更新)」が掲載されていますので参考にしていただければと思います。

結局、上記の相場解説や相場判定も過去の解説でしかないのですが、では、投資家は何を根拠にこれらの判定をしているのでしょうか。多くの投資家の判定根拠は過去の経験や体験からではないでしょうか。

システム売買でもない限り、今まで体験してきた売買の積み重ねからきた「ひらめき」や「勘」によるところが多いのではないだろうか。つまり、過去のデータからの判断ということになる。

テクニカル分析は過去のデータを分析して、現在の相場水準や今後の予測をするものである。また、ファンダメンタル分析も過去の業績から今後の展開を予測するものであり、テクニカル分析もファンダメンタル分析も大局的には過去の指標をベースに判定しているため同じようなものではないか。

また、「ひらめき」や「勘」も過去の成功や失敗を体験して、これらをベースに判定している。つまり、すべては過去の出来事を基にして考えるものであろう。もし、過去のデータが何もなかったら未来を予測しようとしても不可能ではないか。

歴史を学ぶことも、過去はこのようであったから現在はこのようになっている。また、未来はこのようにしなければいけないと考えるものであり、これが歴史を学ぶことの必要性だろう。

このように、学ぶということは過去から学ぶことであり、過去を学ばなくして未来は分からないといっても過言ではないだろう。学校の勉強もすべて過去を学んでいるということになる。

ここで考え頂きたい。現時点は将来から見ると過去になる。そこで『 今、目の前にある状況は、すべて自分が過去に選択(決断)した結果である。よって、現在の決断は将来の自分の姿となる。今、何かを決断しなければ将来は何も変わらない』とならないだろうか。

これらを突き詰めていくと「現在」は過去でもあり、未来でもあることになる。よって、人は将来をすばらしいものにするために努力するものであり、常に精進に努めなければならないということになる。

私も過去のデータを分析して、より良いシステム作りに精進しています



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