2022/08/26 のコメントです。
投資の世界に参入してくる人々は何を求めて参入してくるのだろうか。何を求めるかは投資家それぞれであると思いますが、その多くは投資で収益を上げたいと望み、その結果として豊かで幸せな生活を送りたいと考えるのでしょう。
投資によって収益を上げる目的で参入するも、何か変な方向に行ってはいないだろうか。損が重なり、それを何とか取り戻そうと意地になっていないだろうか。また相場の上げ下げに一喜一憂し歓喜や絶望を味わってはいないだろうか。本来の目的と違った方向に行ってはいないだろうか。投資の先には何があるのだろうか・・・。
「欲」は人間の原点でもある。しかし、欲を出しすぎると墓穴を掘ることもある。人間には、射幸心というものが本能的に備わっており、この射幸心を刺激すると、冷静さを失うこともしばしばです。特に欲の世界、相場の世界には顕著に見られるようです。
もともと、投資においては収益を上げ、欲しいものを買いたい。その収益で豊かな暮らしをしたいと望むことが一般的かもしれません。投資の先にあるものは、投資によって「幸せになりたい」ということではないだろうか。本当に投資の先に幸せはあるのだろうか。
私は、若かりしころ「幸せとは何だろうと」考えていた時代があった。形のない幸せを闇雲に探していた時代があった。当時は、学歴が高い人、知名度の高い人、栄誉ある仕事に就いている人、高級住宅に住んでいる人、容姿端麗な人、お金をたくさん使い社交的に遊んでいる人など、それらの基準に到達している状態こそが幸せなんだと考えていた。 たしかに、美味しいものを食べたり、海外で遊んだり、他人より優位に達している、容姿などで幸せを感じることができる。だが、実際は毎日美味しいものを食べていれば、それは普通の食事になってしまうし、いつも海外で遊んでいればそれが普通の生活となり、普通の状態はいずれ物足りなくなる。
美貌にしたって永遠に続くわけではなく、所詮、他人と比較してみた結果の優越感で「幸せだ」と感じているだけでなのである。他人と比較し優越感によって幸せを感じる、ということは意外と気付かないことなのですが、それはすべて自分の外の世界との関わりにあるのです。
すべてにおいて比較や競争をし、勝ったときに優越感を感じ、ちょっとした幸福感を得ている。負けた方は結果を不幸に思い、次は負けないようにと努力をする。常日頃から、自分以外のすべての人に、大なり小なり勝ち負けを意識するしないにかかわらず自分が不幸を感じないように、幸福感を味わえるようにと努力をして、その結果、競争心はどんどん強くなる。
競争が激しくなると労力を伴うことになり、苦労や自己犠牲、他者犠牲などを強いるようになってくる。すると、精神的な余裕が無くなり敗北感を味わう。不安になる。辛くなる。悲しくなる。ヒステリックになる。混乱するなど本人は意識しなくとも心が悲鳴をあげ、様々な拒否反応が表れてくる。いわゆるストレスである。
自分の地位やプライドを守ろうと、幸せになろうと、自分の外の世界、自分の価値のひとつである周囲の人間を一所懸命変えようと努力した結果、それが逆に不幸を招いているということに気づかない。ひたすらマスコミやテレビから教わった一般的価値基準という実体のない幸せに向かって、不幸になる努力を続けているのではないだろうか。
そして、自己満足のために強制的に変えさせられようとして迷惑を被った人は、心に余裕が無くなってしまった当人から当然のごとく距離をおくこととなる。そもそも「自分以外の全ての人は最初から価値観が違うんだ」「どんな人でも自分の経験で得た価値観が正しいと信じているんだ」ということを理解していない人は、他人を自分の価値観に変えようと無駄な努力をしていることに気づかない。自分に根本的な問題があることが判っていないので、そこにも大きな葛藤がうまれてくる。
外部との比較による優越感や、他人との関係の中に幸せがないとすれば、それでは一体、幸せはどこにあるのだろうか。私の場合、これまでの相場の世界や様々な経験を経て幸せをとても身近なところでみつけた。幸せの在処は、本当の幸せは、自分の中にあったのに気がついた。自分の心の中にあったのです。これは相場の世界で苦しみ抜いた結果だったのかもしれない。
他人と比較しないことで、安らぎと余裕がうまれた。人に優しくできるようになるし、優しくされていると感じられるようにもなる。競争心がいつも頭の中にあると、他人から優しくされても、それは何かの魂胆だとか、何か思惑でもあるのかなどと懐疑心が強くなり、他人から幸せを与えられているのに、無意識に自分から拒絶したり、競争が念頭にあるため常に相手を敵視するようになる。
では、どのようにしたら幸せを感じることができるのだろうか。思うに、それは、とても簡単なことではあるが、本人が本心からそう思えないととても難しい。それは自分の心を変える、視点を変える、たったそれだけのことです。
どんなことにもこだわりを持たず、小さなことにでも幸せを感じられる心に変えてしまえば、その人はとても幸せになれる。短い人生、いつでも笑って、楽しく幸せに暮らせるようになる。周囲にも良い影響を与え、人生が楽しくなってくる。
たとえ他人から見下されようが、非難されようが、歌の文句ではないが「いいじゃないの、幸せならば」と考えられるようになれば、その人は本当に幸せになれるのではないだろうか。
他人に見下されたり非難されたら「それは不幸だろう」と反発している人は幸せを掴むのにほど遠い位置にいます。もちろん、他人に見下されたり、非難されるような自分に変えるのではなく、他人の目を意識しないで生きていけるように「自分の気持ちを変えるべきである」ということです。たったこれだけのことなのです。
自分の周囲を変えようとしたり、他人と比較し、競争して優越感を感じるなどの些細な幸せにばかりに努力をしていないで、自分の内にある心を変える努力を少しずつしてみませんか。
「投資の世界で大きな収益を上げ、豊かな暮らしをしたい」。これが幸せであると定義づけて投資活動に励んでいる投資家も多いようですが、はたしてその通りでしょうか。幸せとはもっと身近にあるものではないでしょうか。 |