2019/05/11 のコメントです。
ゴールデンウィークは株式市場もお休みとなりました。日頃、相場の変動に一喜一憂している投資家の皆さんも、ゴールデンウィーク中は相場からはなれて解放された気分になったのではないでしょうか。大いにリフレッシュできたでしょうか。
さて、今回は「お金」にまつわる話をしてみたいと思います。我々は収益を得ようと投資活動をしています。投資の究極は投資利回りであり、投資金を投じることにより、その見返りとして何がしかの配当や利益を得ることにあります。
つまり、お金を投じてお金を得るものです。投資家は、その見返りをできるだけ多く得ようと日々努力しているものです。これらの行為もある意味では経済活動ではあるかと思いますが、そこに何かを忘れていることはないでしょうか。
私自身も投資家の皆さんと同様に、いかに効率よくそのパフォーマンスを向上させるかに苦心しています。投資で収益を上げようとすることは、投資家の共通の意識であることは間違いありません。
そこで、もし、投資において収益を上げた場合、その後のことはどのように考えているのでしょうか。多くの投資家は、その収益を再投資して、さらに多くの収益を上げようとするのではないでしょうか。これらも投資家共通の意識であると思いますが・・・。
一般に、投資で収益を上げている投資家は3%程度と言われていますので、さらに多くの収益を上げた場合などと仮定してもあまり意味がないかもしれません。しかし、投資経験を積んでいくことにより、少しずつでも収益の積み上げがあった場合、その先にあるものは何でしょうか。
私は「お金を稼ぐことはひとつの手段でしかない」と考えています。お金を儲けることは目標ではなく、目的のための手段であるということです。たとえ、投資で多くの利益を得ても、そのお金も有効に使わなければあまり意味のないものとなります。預金残高を見てニコニコしている人もいるようですが・・・。
投資の目的やその利益の使い道はそれぞれであると思います。利益を得て、それらにより各自の価値観に基づいて、豊かな生活を送るということが本来の目的であるような気がしますが、いかがでしょうか。ただお金を増やすことだけを考えているのでは、ちょっと寂しいような気もするのですが・・・。
では本題に入りましょう。 投資には投資金が必要になってきます。その投資金の源泉は、各自各様であると思いますが、その多くは自らが働いて得た資金であると考えられます。団塊の世代が、老後のためにと、その退職金で投資を始めようとする資金も自らが働いた虎の子の資金であると思います。
自らが汗を流して得た資金であるから、その投資にも慎重になります。元金を減らさず、いかに収益を上げようかと真剣に努力するものです。自ら稼いだお金であるからこそ価値があるのです。
若い投資家であれば当然ながらその投資金も少ないでしょう。若いがゆえに投資の世界に夢を抱いて大きく儲けようとするものです。それらの現象が如実に現れているのが、ブームになっている仮想通貨やFXです。仮想通貨やFXは、少ない資金での運用が可能であり、レバレッジも非常に高く、うまくいけば大儲けもできます。そこが仮想通貨やFXの魅力のひとつでもありますが・・・。
若い投資家であれば、何度か失敗しても再起は容易です。取り返しはつくものです。しかし、すでにリタイヤした投資家はそうはいきません。苦楽を体験し、長く人生を重ねた人であれば、お金の重みも理解しているし、若者とは経験の差もあり、あまり無茶はしないものです。
人間は、額に汗して稼ぐ過程において、その金額に応じて人間としての器(うつわ)が備わっていくものです。苦労して貯めたお金は、早々に無駄遣いはしないものです。苦労して貯めたというプロセスを自分自身で体験しているからです。そして、そのお金の価値を理解しているからです。
一般社会からは、投資で得たお金は不労所得のように、楽して儲けたなどと思われているようです。私が投資家であるから言い訳するわけではありませんが、そのような見解は完全に間違っていると思います。投資家であれば理解されると思いますが、投資の世界で稼ぐということは、一般社会で稼ぐより何倍も大変なことなのです。
これらを踏まえて・・・。投資の世界では大きく儲けることもあり、時には大きく負けることもあります。人間の心理として、大きく儲けるともっと儲けようとする心理が働きます。また、大きく損をすると、その損を取り返そうとする心理が働きます。これらは、人間として不変の深層真理でもあるのです。
もし、大きく儲けた場合「もう少し資金があればもっと儲かるのになあ」と考えます。そして、どこからか資金調達を考えます。一方、大きく負けてしまった場合、何とか損を取り戻そうとするものの資金がありません。そこで「資金があれば、この損を取り戻せるのになあ」と考えます。そして、どこからか資金調達を考えます。
大きく儲けても、大きく損をしても次に考えることは「資金調達」です。もちろん、すべての投資家がこのように考えるわけではないと思いますが、ある意味では、投資家の心理でもあると思います。
もし、個人投資家が「資金調達」ということを頭に浮かべたら、それは破局への始まりと考えて間違いありません。取り返しがつかなくなる場合もあります。その理由は、すでにお分かりであると思いますが・・・。
その理由は「人間には自分の力で稼いだお金以上は、そのお金を運用するだけの器が備わっていない」と言うことです。このことは非常に重要な問題ですので、よく理解しておいてください。
上記の若者の仮想通貨やFX投資の例においても、レバレッジを高くするということは、ある意味では、自分の器量以上の運用をしているということにはならないだろうか。ブームの影で多くの投資家が破綻しているということはあまり知られていない。
これらの例は「自分の器以上のお金は運用できない」ということを証明したものです。私の体験の中で、投資の世界でもこのような例をいやというほど見せ付けられてきました。投資家の皆さんもこれらを他山の石として学んでほしい。
お金というものは、それを稼ぐプロセスにおいて、それらに応じて人間を成長させるものです。それは必ずバランスのとれたものとなるのです。つまり、現在の自分の姿は、今まで自分が歩んできた過程の結果の姿であり、現在の自己資金は、自分自身の現在の器を証明するものなのです。
投資家は、自分の器(器量)の範囲内で投資活動を行うべきであると・・・。 |